先日紹介した5周年行事「東北復興月間」の一つとして、地域活性化センターが、「東京から、東北の今とつながる」をしてくださいます。
月別アーカイブ: 2016年5月
住まいの復興見込み
「住まいの復興工程表」(平成28年3月末現在)を公表しました。災害公営住宅と高台移転宅地造成などの供給見通しです。半年に1度更新しています。半年前に比べ、宅地の計画数が約900戸分減りました。また、平成27年度末(28年3月)時点の完成戸数が少し遅れて、28年夏になったものがありますが、おおむね計画通り進んでいます。
公営住宅は、28年3月には約1万7千戸、率にして57%完成し、29年3月には約2万6千戸、86%完成する予定です。宅地供給は、28年3月には約8千戸分、率にして43%が完成し、29年3月には1万4千戸、69%が完成する予定です。記者発表資料。各市町村ごとの見込み。
西日本大震災に備える
石橋克彦著『南海トラフ巨大地震―歴史・科学・社会』(2014年、岩波書店)は、いずれ来ると予想されている「西日本大震災」=南海トラフ巨大地震(かつては、東海、東南海地震と呼ばれていました)を解説した本です。副題にもついているように、古文書などによる歴史からの分析、プレートテクトニクス理論による科学からの分析、それが社会にもたらす災害の3つの視点から解説してあります。
著者の考えに従うと、古来日本各地で起きた大きな地震のメカニズムが理解できます。なぜ大きな地震が、短期間のうちに各地で起きるか。納得します。ただし、山陰地方でなぜ連動して起きるかは、いまいち理解できません。そこは読んでもらうとして、次の点を引用しておきます(p199)。
・・・第二に、地震対策の目標は、生命・財産の損失を減らすこと(減災)はもちろんだが、最終的には、被災した人々が1日も早く平穏な暮らしを取り戻せるように準備しておくことだろう・・・
・・・第三に、日本列島に暮らす人々はくり返し南海トラフ巨大地震で大被害を受け、そのたびに立ち直ってきたが、現代の私たちとは根本的に違う暮らし方をしていたことを忘れてはならない・・・基本的に衣食住をはじめとする生活全般が、自然的・自給的・自立的であった。ところが今の暮らしは、「顔の見えない他者」に無際限に依存することを余儀なくされている…生活を支える複雑・高度な仕組みが震災によって大規模に崩壊すると、昔の貧しい人々が苦しんだのとは別の困難に直面する・・・
社会の変化、退職者が増えると
先日、若冲展で80分並んだと書きました。連休中の5月4日のことです。これを読んだ友達が、同情してくれました。そして彼は、平日の朝、開館前に行きました。90分待って、開館と同時に入ったそうです。しかし、出てきたときには3時間待ちとの表示が出ていたとのこと。彼曰く「私の方が気の毒でした」と。苦笑。ところが、もう一つ同じようなできごとがありました。先日の土曜日に、キョーコさんと六本木の新美術館のルノアール展に行きました。待ち時間なしで入れました。別の日の平日に、キョーコさんが他の人と行ったら、大変な混みよう、かつ賑やかだったそうです。女性と高齢者の軍団に占拠されて。レストランもです。
ここからは推測です。私たち勤め人は、休日しか行くことができません。他方、主婦や退職した人はいつでも行くことができるので、すいている平日を選ぶのでしょう。ところが、退職した高齢者が増えて、平日も混むようになったというのが、私の見立てです。たった2回ことからの推測ですから、ええ加減な話です。
NPOによる被災地支援
日本財団が、益城町内の避難者の実態調査を実施し、その結果と提言をまとめました。避難生活での被害拡大防止と、次のステージへの移行を進めるためです。「益城町内の避難所および避難世帯の状況調査」
行政は避難者の生活支援と仮設住宅建設などで手が一杯です。東日本大震災の時も、NPOやボランティアが避難所運営の手伝いをしてくれるとともに、このようにNPOが避難所の実態把握と問題点の摘出と、次への移行支援をしてくれました。ありがたいことです。このような調査と提言は、個人ボランティアでは無理で、経験ある組織でないとできません。多くの市町村役場も、経験がありません。もちろん、受け入れ側の理解も必要です。
このようなNPOとの協働が、着実に定着しつつあります。本来は、行政が行わなければならないことかもしれません。しかし、拙著「復興が日本を変える」に書いたように、ようやく行政が、インフラ復旧だけでなく被災者の生活再建支援までに手を広げました。それを大きな変化として評価いただき、このように次の課題を解決していきましょう。