日経新聞「私の履歴書」、福澤武さんの続きです。
福澤さんは、丸の内の再開発をされるまでに、三菱地所の「殿様商売」を徐々に変えていかれました。徐々にといっても、大変なご苦労があったでしょう。
かつて、1つのビルに同じ業種の店を複数入れることを禁じる「1業種1店舗」の原則があったそうです。うなぎ屋が入っていると、後から入った日本料理屋はウナギ料理が出せないとか。テナントの要望を聞くことなく、古い原則を守っていたのです。この原則を変えるには、現場の管理事務所の副所長ではできず、本社に戻って部長となって、担当役員に了解をもらって変えることができました(4月23日掲載分)。
日本の地価神話(右肩上がりが続くはずだ)と、丸の内という超一等地を抱えていることで、会社と社員は「改革意識」は薄かったでしょう。福澤さんは、その当たりのことを、詳しくは書いておられませんが。丸ビルなどが老朽化してきたこと、テナントの丸の内離れが起きていたこと、そしてバブル崩壊で、それまでの常識が崩れ去ります。
・・・ビルの営業部門はずっと増収増益だったのに、とうとう減収減益に陥った。テナントを引き留めるための値下げの連続に社内はとまどっていた。収益予測を調べさせたとき、部下の返答に絶句した。
「ウチの情報システムは値上げしか想定していません。値下げのときは計算できません。手作業になります」
苦笑いしか浮かべられなかった・・・(4月24日掲載分)。