3月23日の朝日新聞「紙面審議会」から。
鈴木幸一・IIJ会長
・・・朝日新聞はクオリティーペーパーを自負する一方、数百万部という発行部数からみれば、大衆紙と捉える方が妥当である。クオリティーペーパーとしての矜持を保ちつつ、発行部数を守るため大衆に受け入れられる要素も盛り込まねばならない。この矛盾を抱えながら一つの紙面をつくることが、朝日新聞の記事内容、記者の育て方、何よりも経営のあり方を難しくしているのではないか。
例えば、私の仕事であるIT分野を掘り下げ、ITという巨大な技術革新が世界をどのように変えていくのかといった視野を持ち、経営者に目を開かせてくれる記事を書ける専門記者を育てているだろうか。かつては同じ記者が長期間同じ分野を担っていたように思うが、昨今は短期間で別の記者に担当替えしているようだ。
ある出来事を報道する時、その評価については、ほとんどが学者や有識者とされる方々の意見を掲載していることが多く、新聞社としての見解は控えめだ。記事は記者が事実をなぞった、表面的な内容になっていると感じる。読者に分かりやすい、かみ砕いた記事を書き、分析もできる専門知識を持つ記者も必要なのではないか。産業以外の国内政治、国際政治、社会、文化などの分野では、専門記者が育っているのだろうか・・・
湯浅誠・法政大学教授
・・・経済的格差が広がるときは、政治的見解も二極化する。いま、そんな時代に入ったと思う。こういうときに、これまでのように、穏健な意見を社会に投げかけるだけでは足りない。テーマの選定や切り口など、「これくらいではないか」という従来の「相場観」は一度見直すべきだと考える・・・
中島岳志・東京工大教授
・・・一昨年以来の朝日新聞バッシングは、単に慰安婦報道に向けられたものではない。戦後の朝日ジャーナリズム、ひいては戦後民主主義に対する不満・鬱屈が噴出したものと捉えるべきだろう。その根源には「自分たちは正しさを所有している」という朝日の態度に対するいらだちがあるように思う・・・