連載「明るい公務員講座」第10回が発行されました。今回は、「会議の開き方」です。今回の内容は、次の通り。
仕事の敵・会議、その会議では何をするか、効率的な会議、忙しさと成果は比例しない、1か月3か月ごとに振り返ってみる。
まあ、無駄な会議が多いですよね。私は大嫌いです。
月別アーカイブ: 2016年2月
原発被災地域での結いの場
2月5日に、いわき市で、双葉郡南部4町村を対象に、「結いの場」を開きました。この4町村は順次避難指示が解除されていますが、まだ解除されていない地域もあり、住民が戻っていない状態です。
被災地企業からは、「チャンスがどこに転がっているかは分からない。気付くも気付かないも自分自身。色々と気付きをもらった」「様々な業種の方と話ができた。今日の機会を捉え、住民帰還のため先頭に立って頑張りたい」「多くの方からワークショップで意見をもらいワクワクしながら参加した。これからが大事」といった声がありました。復興にはまだ時間がかかりますが、このような試みを続けていきます。
変わり続けよ、自分で考えよ
朝日新聞2月3日スポーツ欄、「日本代表前HC・エディ氏が語る勝利の条件」から。
・・・こんな言葉があります。「同じことを繰り返しながら、違う結果を求めるのは、狂気の沙汰だ」
成長するためには、何かを変えないといけない。私が日本代表を指揮していたとき、選手が安住していた環境をぶっ壊し、彼らを極限まで追い込み続けました。日本人は、従順であるように教育されている。だから、全てをひっくり返す必要があったんです。
(五郎丸が自立)
彼らが自立性を持ち、自己主張するように促しました。田中史朗は当初、最も主張する選手の一人でした。間違っていたとしても、自分の考えを伝えてくる。そんな姿勢が好きでした。田中の存在が周りに勇気を与え、ほかの選手を成長させた。
W杯を終えたとき、自立性という意味では、彼を上回る選手もいた。五郎丸歩は、最初の頃のミーティングでは下を向き、誰とも目を合わせようとしなかった。だが、最後の頃は、始まる2秒前に部屋に来ながら、臆せず一番前に座り、質問していた。これらが変化の好例です。
(自分で考える)
昨年のW杯で、日本が成し遂げたことは世界を驚かせました。しかし、過去の結果が、将来も成功できる保証にはならない。日本は変わり続け、前進し続けなければいけない。今後もまた、新しいスタイルを作らないといけないのです。
「偉大な選手になりたい」。日本の若い人には、その決意を強く持って欲しい。そのためには、コーチからの指示をきちんとこなし、その上で、進化する道筋を自ら考え、実践することが必要です。
コーチからやれ、と教えられることは最低限のこと。プロテニスの(元世界ランキング1位)ロジャー・フェデラーに細かなことまで言うコーチはいない。基本こそ学ぶが、そこから自らの考えでショットを磨いていったのでしょう。自分で考えてやる。その意識を日本の選手も持って欲しいと思っています・・・
仮設商店の撤去費助成、期間延長
被災地で事業を再開してもらうために、仮設工場や仮設店舗を無償で提供しました。それら施設を、土地のかさ上げ工事などの理由でやむを得ず撤去しなければならない場合に、その移転費や撤去費を助成する制度も、作りました。ただし、完成後5年以内としていました。ところが、土地区画整理事業の遅れなどで、5年経過後も利用せざるを得ない仮設施設が出てきました。
今般、中小企業庁がその事情を配慮して、一定の条件の下で、5年を超える施設についても、移設や撤去に助成することに変更してくれました。詳しくは「通知」をご覧ください。現地の事情を汲み取った、善政です。ありがとうございます。
住民主体の町づくり
2月2日に東松島市を視察した際に、東矢本駅北地区(あおい地区)で、話を聞いてきました。駅北の農地に、集団移転で273区画、公営住宅を307戸(戸建て160、集合住宅77戸、2戸1を70戸)を建設してます。入居が始まっています。駅北という町づくりには最適の場所です。集団移転しなければならなくなった沿岸の住民が、この地区に目を付け、決めたそうです。そして、市長と移住予定者が、地権者に土地を売ってもらうように交渉に行ったとのこと。おかげで、早期に売買交渉が成立しました。
この地区の特徴は、なんと言っても、住民主体の町づくりです。協議会を設立し、住民が主導して町づくりのルールを決めました。まず、少人数の専門部会(宅地計画、区画決定ルール、街並み、広報、コミュニティなど)で方針を検討し、全員対象の井戸端会議(ワークショップ)で意見を聞き、総会で決定するという手順を踏みました。会議は、年間120回以上(3日に1回です)開いたとのことです。ばらばらな地区の仮設住宅に住んでいる住民予定者を集めて会議をするには、苦労があったと思います。また、出てこない人にどうして参加してもらうか。イベントに誘うとかで、働きかけをしたそうです。
宅地の割り当ても、震災前の隣組、親子や親戚で近くにすみたい人を優先しました。話し合いを重ね、どうしても希望が重複する場合にのみ、抽選にしたとか。認知症の高齢者を抱えた家では、ブロックの端の宅地が望まれるのだそうです。街並みの真ん中だと、散歩に出た高齢者が、自宅に戻れない。角地だと、帰ってこられるのです。
目標は、日本一の町づくりです。協議会の会長さんは、民間企業で営業の仕事をしておられたそうです。副会長さんたちが、会長の仕事ぶりを誉めておられました。「まずは話を聞いて、それから上手に結論に持っていく。忍耐力が必要」と。
この過程を記録にまとめ、ほかの自治体の教科書にして欲しいです。市役所のページ。