今日は午後から、ドイツの研究者のインタビューを受けました。日本の大学院に留学中とのことです。彼の研究テーマは、日本の政策形成、特に経済外交についての変化、それも行政改革や政と官との関係から見た変化です。私は経済外交は専門外なのですが、行政改革、政と官との関係から、指導教官(大学院の教授。私もお世話になっている方々)の推薦とのことで、お受けしました。
ドイツ語または英語で、英語の通訳を連れてくるとのことでしたが、復興庁にドイツ語のプロがいることを思い出して、彼に通訳をお願いしました。政府要人の通訳を務める彼に通訳してもらうのは、すごくぜいたくなことです。でも、専門外の通訳を連れてこられるより、背景を知っている彼の方が、ずっと円滑に伝わるでしょう。ありがとうF参事官。
事前に質問項目をもらい、それに合うように私の考えをメモに整理しました。政と官の変化については、かつて「行政構造改革」を連載し(惜しかったですね、本にしておけば良かったです)、またこのホームページでも「政と官」の分類を立ててあります。私の近年の主要研究テーマです。それを引っ張り出したり、行政改革のプロの官僚に問い合わせたり、主要紙の政治部記者に問い合わせて、メモを整理しました。私の独自の見解が、大勢とずれていてはいけないので。久しぶりに、この4半世紀の日本の政治と行政改革を考え直しました。
そのメモもドイツ語に翻訳してもらって、事前に研究者に渡しておきました。私もその翻訳をもらったのですが、残念なことに、見出しの数字番号しか分かりませんでした。今日は、そのメモを前提に、質問にお答えしました。制度改革が変化を生んだのか、運用が変化を生んだのか。私はその前提に、国際、経済、社会環境の変化が、日本の政と官の変化を生んだ一番の要因だと考えています。
年別アーカイブ:2015年
霞が関にあった米軍住宅
第2次大戦後、アメリカ占領軍が、駐留軍人のために日本国内に職員住宅を建てました。8月21日の読売新聞夕刊「戦後70年、歴史を歩く」が、ワシントンハイツを取り上げていました。東京の代々木公園に、ワシントンハイツという名で、大規模な住宅団地が作られたことは有名です。約92平米の戸建てで、約800戸もあったそうです。
ところで、霞が関や永田町にも、米軍住宅があったことをご存じですが。私も詳しくは知りませんでした。霞が関にあったのは、リンカーンセンターと呼ばれ、現在の国土交通省の建物(第3合同庁舎)あたりにあって、50戸。永田町にあったのは、ジェファーソンハイツと呼ばれ、現在の衆議院議長公邸と参議院議長公邸あたりにあって、70戸もあったそうです。貴重な写真ありがとうございます。
中年男性、妻との会話
先日、「世間には2種類の組織がある。サイバー攻撃をすでに受けた組織と、攻撃されたことにまだ気付いていない組織だ」(6月24日)を紹介しました。そのもじりです。
「世間には2種類の夫がいる。妻との会話が成り立っていない夫と、成り立っていないことに気がついていない夫だ」。
最近の飲み会で、この話が受けました。もっとも中には、真剣に「わが家では、妻との意思疎通ができています」と発言した中年男性もいます。ところが、このジョークは夫には成り立っても、妻には成り立たないのですよね。妻はとっくに、夫を見限っていますから。なお、円満に過ごしておられるご家庭では、この話は無視してください。
原発被災地域の事業者再開支援
中西準子先生、早期帰還目指し線量の見直しを。2
昨日の続きです。
・・・ただし、被災者にリスクの許容を求めるだけでは、だめだと思います。それぞれが考え方や生活の条件が違うので、避難生活を余儀なくされたすべての人に、公的な支援による移住の選択肢をつくることが必要です・・・
「提案への反響は」という問に対しては。
・・・国や行政は政治的な問題から何も言えないようです。市民団体は「リスクを許容させるなんてけしからん」と。ある専門家は「非常に有害」と批判してきました。これに対し、私は「除染を徹底するほど被災者は帰れなくなりますが、それはどう考えていますか」と問いかけましたが、返事が来ません。別の側面を考える習慣がないのでしょう・・・