被災地の子ども、田村太郎さん

昨日、田村太郎さんが、多文化共生で朝日新聞記事に取り上げられたと、紹介しました。本人からお礼とともに、毎日新聞にも出ていますと、電子メールがきました。12月7日「震災後に貧困、学習意欲は持続 「被災地・子ども教育白書」 公益社団法人調査
・・・復興庁の田村太郎参与は、被災地から就職先や進学先を求めて東京などに出たものの、生活になじめずに地元に戻ったケースが少なくないと紹介。今後はこうした若者たちの支援についても検討が必要だと述べた・・・

官民連携

昨日は、経団連に、機関誌「月刊経団連」用に、座談会に行ってきました。今日は、(株)電通に、産業復興での官民連携について、意見交換に行ってきました。このページでも書いているように、復旧に際して企業は大きな貢献をしてくださいました。また、企業の施設設備復旧までは、行政の補助金で支援できたのですが、販路開拓や新商品開発については補助金では効果がなく、大手企業の支援をお願いしています。電通も、東北六魂祭を始め、その技能を生かした支援をしてくださっています。引き続き、というか今後の新しい局面で、どのような支援をしていただけるか。それを議論してきました。忙しいのに、大勢の社員が、私の話を聞いてくださいました。
企業による復興支援については、今朝8日の朝日新聞も大きく取り上げていました「復興支援、ビジネスも念頭に 被災地と企業がともに利益」。
企業の復興支援には、無償支援、本業、本業を生かした新たな発展、の3つがあります。しかし、無償支援は長続きしません。本業または本業を生かした発展型が、息長く続きます。利益が出るのが良いのですが、利益が出なくても少しの赤字なら、企業経営者も続けてくれるでしょう。
企業が復興支援を続けるには、いくつかの要件があります。どの地域・自治体と手を組むか。地域のどのような資源を使うか。その企業の持っている技能の何を使うかです。朝日新聞に取り上げられた資生堂の例では、地域=大船渡(椿の北限)、地域の資源=椿、企業の技能=資生堂の化粧品、つながり=椿は資生堂のシンボルです。復興庁や自治体からすると、企業はいろんな技能を持っておられます。それをどのように協力していただくか。新しい課題です。

エコル・ノルマル・スュペリユール

加藤晴久著『ブルデュー 闘う知識人』には、エコル・ノルマル・スュペリユールの超エリート教育が紹介されています。p25~。
フランスには、大学と並行して、ゴランド・エコル(大学校)があり、国公立・私立あわせて300校近くあります。エコル・ノルマル・スュペリユール(高等師範学校とも訳されます)は、大革命期の1794年設立、元は高等中学(リセ)の教員養成が目的でした。パリとリヨンに合計4校ありますが、パリのウルム通りにあるのが、ダントツのようです。ブルデューは、ここを卒業します。入学者は、文科・理科ともに40人前後。20歳前後で入学する学生は準公務員扱いになり、小学校教員並みの給料をもらう身分になります。
加藤先生も、1961年から4年間学ばれました。当時は全寮制、起きてパジャマにガウンをまとうか、着替えて食堂へ。その間に家政婦が、ベッド・メイキングをして、掃除をしてくれます。昼食と夕食では、サービス係がテーブル食事をに運んでくれ、ワインも出ます。食事の質も上等。ワイシャツ、下着、ハンカチまで提供され、袋に入れて出すと、洗濯してアイロンをかけて返してくれるそうです。
学生たちは、俗事から解放されて、ひたすら勉強に励むのです。

多文化共生、田村太郎さん

12月6日の朝日新聞「戦後70年エピローグ。縮む世界、開く心の距離」に、田村太郎さんが出ていました。ヨーロッパで大きな問題になっている移民。日本の状況について。
・・・日本に暮らす外国人は過去最多の約217万人。雇用されているのは約79万人だ。政府は単純労働者は受け入れないとしながら、例外を増やしてきた。
日本は70年代まで移民を送り出していたが、85年からの円高やバブル景気で、世界中から人が集まった。90年には3世までの日系人に定住が認められ、来日があいついだ。事実上は単純労働の「技能実習」制度は拡充されている。
家族と日本で暮らす人たちを地域の一員として迎え入れようと、総務省が「地域における多文化共生推進プラン」を策定したのは06年だ。霞が関には政策づくりの機運が生まれたが、2度の政権交代を経て、今は「冬の時代」といわれる。
NPO法人「多文化共生センター大阪」の代表理事、田村太郎(44)は「自治体とNPOが必死に取り組んで大きな社会問題にならなかったのをよいことに、政府も国会も外国人との共生を議論せずにきた」と指摘する・・・