平成27年大晦日

今日は12月31日。東京は穏やかな年の瀬です。今年も日本一の蕎麦打ち名人のお蕎麦を食べて、年を越します。皆さんにとって、今年はどのような年だったでしょうか。充実した一年であったことでしょう。
私は、3月に復興庁事務次官になり、引き続き復興に携わりました。関係者の努力のおかげで、着実に進捗しています。しかし、なお18万人の方が自宅に戻れず、5度目の正月を迎えようとしておられます。
私生活でのできごとである、事故と原稿については、昨日と一昨日、このページに書いたとおりです。家族も健康で過ごすことができました。ありがたいことです。今年1年、このページにお付き合いいただき、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

中国人観光客

外国人観光客が近年急増し、インバウンドという言葉がはやりました。その中でも、中国人観光客の増加が目立ちます。そして、爆買い。ありがたいことです。40年前のパリの日本人を思い出させます。12月28日の「地方行政」(時事通信社)に、次のような指摘が載っていました。
小売業界によると、1顧客当たりのレシートの長さは平均15センチメートル。それが爆買い客だと1メートルになるのだそうです。商品より先に、レジのロール紙からなくなるという話です。
12月27日の読売新聞、「編集委員が読む」森恭彦記者の「京都中国の人多いですね」にも、興味深い指摘が載っています。
中国では、「唐宋時代を見たければ日本に行け」という言い方があるのだそうです。北方民族が支配した元や清の時代に失われた文化が、日本に残っているのです。京都は「小長安」と呼ばれます。それ以外にも、いろんな指摘があります。原文をお読みください。

執筆。平成27年の回顧、その2

さて今年は、少し執筆が進みました。
『地方財務』2015年4月号に、「復興の現状と課題―未曾有の事態へどのように対応してきたのか」を書きました。これは、4年経った時点での復興の現状と課題だけでなく、これまでにない課題にどのように対応したか、そしてどのように組織を作ったかを書きました。私と職員たちの、この4年間の努力=技と作品=苦労の記録です。
続いて、もうじき発災5年になるので、これまでの記録を残しておこうと、原稿を書いています。役所的な記録でなく、読み物にしました。私がしたことや見たこととともに、企業やNPOの貢献も書こうと、民間人2人と共著です。
これまで何度も、書きかけては挫折したのです。すぐに時間が経って状況が変わり、書いた原稿が使い物にならなくなりました。しかし、5年ということは、もう限界でしょう。今回は、編集長に締めきりを決めてもらい、また2人を引きずり込むことで、退路を断ちました。3月には、出版される予定です。乞うご期待。今日も、その校正をしています。
もう一つは、連載「明るい公務員講座」です。「明るい係長講座」(1996年)を、いつかは本にしようと考えていたのですが。これも、なかなかきっしょが立たず(「きっしょをたてる」は関西弁だそうです)。今回、連載の形で、自分を追い込みました。
こちらの方は、まだ連載7回です。原稿は第10回まで渡してあるのですが、編集長に今後の予定を聞いたら、30回までの発行日程が送られてきました。え~、そんなに続きまへんわ。
というので、この9月からは、単行本と連載の原稿執筆とで、「二正面作戦」を余儀なくされていたのです。しかし、私の経験を後輩に伝え、世間に理解してもらうことも義務だと心得て、休日に頑張っています。好きな美術館巡りや散歩も辛抱して。

社会科学による大震災の分析、6

日本学術振興会(村松岐夫先生ほか)による東日本大震災学術調査プロジェクト「大震災に学ぶ社会科学」の第6回配本、第6巻『復旧・復興へ向かう地域と学校』が発刊されました。
施設や教育活動の復旧だけでなく、次のような新しい視点の論考が載っています。学校、教育委員会という閉じた世界でなく、地域やNPOとの協働が重要な視点となっています。
第5章  原発事故対応における学校への影響
第6章  NPOによる子ども支援活動
第7章  被災した子どもの教育支援
第8章  子ども支援と心のケア
第9章  教員の業務と健康状態への影響調査
第10章 官民協働が可能にした学習機会の保障

ダイビング友の会。平成27年の回顧、その1

さて、今日は29日。年賀状は既に出し終え、門の松飾りも付けました。大晦日に、今年1年の回顧を書く予定ですが、今日はその前段として、今年の事件を書きます。
12月1日に、国会前の横断歩道で、道路に向かってダイビングを試み、顔から着地しました。夕方5時半ごろで、飲んでもいません。信号が青に変わったので、リズムよく歩道を走り、90度曲がったところで、体が宙を舞いました。何が起こったかわからないままに、アスファルトにたたきつけられました。右の眼鏡が割れ、ほほから少し血が出ています。どうやら、イチョウの濡れ落ち葉で滑ったようです。高校生の時にゴールキーパーをしていたので、セービングをして着地するのは得意なのですが、受け身をする間もありませんでした。
翌日、右目の周りが紫色に内出血し、パンチを食らったボクサー状態になりました。眼鏡のレンズが、激しく当たったのでしょう。キョーコさんに資生堂の化粧品を塗ってもらい、惨状を隠しました。良くできたもので、ほとんど気がつかないくらい、消してくれます。「そうか。女性は毎日、こうして化けているのか」ということが、よくわかりました。内出血は、消えるのに、3週間かかりました。
行きつけの東眼科で見てもらったところ、眼球には何の異常もなし。ボルサリーノの帽子のつばが破れ、眼鏡が壊れただけで、体や衣服は何ともなかったようです。受け身をしていたら、コートは破れ、手もすりむいていたはずです。顔から着地したことが、よくわかります。
眼鏡は、縁なしなのでレンズを取り替えるだけすみました。といっても、高いレンズですが。眼鏡屋さん曰く、「チタンの丈夫なツルだったので、よかったのかも。普通の眼鏡なら、ツルが曲がって、顔に突き刺さっていたでしょう」と。ボルサリーノは、銀座ヴォーグの原さんに見てもらい、傷のか所を少しわかりにくくしてもらいました。まあ、長く使ったので、そんなにもったいなくはありません。遊びの際にかぶりますわ。帽子と眼鏡が、体を守ってくれたのです。運がよかったと思いましょう。革靴は滑りますね。いくつかの靴底は、滑り止めを貼ってもらいました。
家族や職員からは、「その年になって、走らないように」と忠告を受けました。そうですね、時々階段などで、足先がつっかえることがあります。思ったようには、足が上がっていないのでしょう。神様が、大けがをする前に、注意をしてくださったと思いましょう。その点でも、運がよかったのです。何事も、よい方向で考えましょう。
さて、表題の「ダイビング友の会」についてです。この話をしたら、私の周りに、地上でダイビングをした人が何人もいました。以下、列挙します。
1 40代男性。小走りに走っていて、足を滑らせ、道路でダイビング。肋骨にひびが入りました。手をポケットに入れていたので、被害が大きかったようです。私の事件の数週間前のできごとだそうです。
2 50代男性。4年ほど前。電車に乗ろうとしてドアのところで足がつっかえ、電車の床にダイビング。額を10針ほど縫ったとのこと。
3 40代男性。ホテルに帰って、ベッドに身を投げ出したつもりが、床にダイビング。3か月ほど、手をつっていました。
4 30代男性。日比谷公園の柵を越えたら、足が引っかかったらしく、地面にダイビング。前歯2本を折りました。
番外 20代女性。私の事件を聞いて笑ったあと、電車とプラットフォームの隙間に落ち、足をすりむきました。これは、真下に落ちたので、ダイビングとは認定せず。
このうち3人は、民間人です。このほかに海に潜って写真を撮る、本当のダイビングをする知人も、2人いるのですが。