皆保険50年

昭和36年(1961年)に、国民健康保険ができ、国民皆保険が達成されました。それから半世紀になります。9月24日の朝日新聞は、それを記念したシンポジウムを特集していました。興味深い点を紹介します。詳しくは、原文をお読み下さい。
ファインバーグ米国医学研究所理事長の発言から。
・・日本は、保健分野で世界最高の成功を成し遂げた国の一つだ。中程度のコストでこれだけのことを実現できたこの国から学びたい・・
より質の高い健康を実現するには、効率的なシステムをつくらねばならない・・課題は様々だ。公的負担と私的負担のバランスをどうとるか。看護師や薬剤師といった専門職の役割分担をどうするか。最も効率の良い組織をつくるにはどうした良いか、医療の質をどう維持するか。システムを継続していくにはコストをどう抑えていくかなどがあげられる・・
日本は、皆保険を世界に先駆けて達成し、維持してきた。今度は21世紀型の保健改革をどう遂げていけるか。どのような選択をとり、どういった行動をとるのか、見せていただきたい。

池上直己教授の発言から。
医療の抜本改革と言われるが、日本は抜本改革をしたこはなく、漸進的調整を繰り返してきた。皆保険達成の第1期は健康保険法が成立した1922年から敗戦まで。社会保険が設立された目的は、社会主義運動の阻止と、国力増強のための労働者の健康増進だった・・国民の保健加入率は、戦争中の43年に70%までいっていた。次は戦後期。敗戦後、福祉国家の構築が目標になった・・61年に最後の市町村に国民健康保険が設立され、漸進的なアプローチによってついに皆保険が達成された・・
ところが、その後、人口の高齢化が進み、医療費に占める高齢者の割合がそれを上回って増加した。2005年には高齢者は人口で20%だが医療費の半分を占め、25年には人口で30%になるが、医療費においては3分の2にもなる。そうなると漸進的調整の限界が生じる。社会保険の主要な機能はリスクの分散、つまり加入者が病気になった時の備えから、若年者が高齢者の医療費を賄うメカニズムに移行してきている・・

ホートン英医学誌ランセット編集長の発言から。
・・今回、ランセット誌がなぜ日本に来たのか。日本が直面する問題は、他の先進国が近い将来、向き合う問題でもあるからだ。私は、日本はグローバルヘルス(国際的な健康問題)のバロメーターだと思う。肥満や糖尿病、精神病などの問題に、コストを上げず質を保ちながらどう対処していくか。他の国も多くのことを学ぶことができる。
一方で、保健システムの進化は国内だけの問題ではない・・また、他の国からあまり評価はされていないが、日本のグローバルヘルスへの貢献度は高い。教育や研究開発のレベルはトップクラスだ。壊れかけたグローバルヘルスへどう貢献していくか注目される・・

自主避難者の帰還

毎日新聞連載「揺れる子育て」9月23日は、「それぞれの選択を認めて」でした。夫を福島市に残して、2男3女とともに山形県米沢市に自主避難した女性が、長女の高校進学とともに福島市に戻った例などが、紹介されています。戻った女性の不安を和らげるのが、ほかのお母さんとの交流です。先に帰還した人が経験などを伝えることで、母親の不安軽減につながっています。残念ながら、政府や科学者は信用されておらず、同じ経験をしたママ友の話が信用されるようです。

『ヴィリー・ブラントの生涯』

質の高い本を読んだときの満足感は、どのように伝えたら良いのでしょうか。1週間以上かかって、グレゴーア・ショレゲン著『ヴィリー・ブラントの生涯』(邦訳2015年、三元社)を読みました。内容も重いし、判型も大きいので、寝ながら読むのには適していないのですが。1960年代、東西対立が激しい時代に、西ドイツ首相として東方政策を進め、ソ連や東ドイツと和解したブラントの伝記です。
私も子ども時代のことなので、詳しくは知らなかったのですが。プロレタリア的な家庭に婚外子として生まれ、ナチスに抗して長期間亡命し、戦後帰国してから粘り強く社会民主党内を上り詰め、また党の方針を大胆に変え、分裂しそうな党をまとめます。そして、遂に首相になります。しかし、疲れ果て、身近なところに東のスパイがいたことをきっかけに失脚します。ワルシャワを訪問した際に、ナチスの犠牲になったユダヤ人記念碑の前でひざまずく写真が有名です。その写真は、本書のカバーにも使われています。しかしこの行為も、国内では大きな議論を呼び起こします。
その経歴だけでも波瀾万丈なのですが、しばしば鬱状態になったり、党内でライバルと厳しいつばぜり合いを繰り返します。長年連れ添った2番目の妻と離婚し、3番目の妻と結婚。しかし、これも問題を引き起こします。人間味あふれる伝記です。
ブラントの後を継いだヘルムート・シュミット首相の『シュミット外交回想録』(邦訳1989年、岩波書店)などは、同時代として読んで、感銘を受けました。これは政策について書かれたものです。他方、『ヴィリー・ブラントの生涯』は、第三者が伝記として書いたものです。政策だけでなく、権力争いや人間性まで描き出しています。本人の強さも弱さも。
ブラントとシュミットとの間に、そんな確執があったとは知りませんでした。党内争いに勝ち、国内の対立を収め、東西冷戦の間で国の舵取りをする。政治の世界がいかに厳しいものか、勉強になります。
翻訳がこなれていることも、読みやすい条件ですね。少し専門的で重いですが、お薦めです。

仕事が進む職場

5連休も終わり、職場が再開。職員たちが次々と入ってきて、それぞれこれからの課題を処理する方向性を、報告やら相談に来てくれました。中には、どうしようかなと密かに悩んでいた案件もあり、職員が私より先にかつ十分な検討をしてくれていて、驚きました。ありがたいことです。私は、少し注文を付けるだけで、すみました。できる職員を持つ上司は、楽です。朝から、気分が良かったです。

秋の5連休

今日で、5連休が終わりました。シルバーウィークと言うのだそうですが、季節も良く、日本全国ほとんど天候にも恵まれ、行楽日和でした。皆さんも、充実したお休みを過ごされたことでしょう。知人は、観光に行ったり、豪雨被災地の支援に行ったりと、それぞれの過ごし方をしています。いつものことですが、商店、交通、病院、警察、消防といった、休日でも働いておられる方々に、感謝します。
私も、5連休をいただきました。2日間はキョーコさんのお供をして、残りの日は朝から晩まで原稿書き+時々孫のお守りでした。かつてのように集中する時間が取れず、また馬力もなくなっています。締め切りを考えると、やや悲惨な状況に追い込まれているので、やむなく籠城状態です。おかげで、それなりには進んだのですが、先は長いです。