偏った報道、媚びる発言。復興の真実を伝えて欲しい

復興庁の職員が、災害に関する国際会議に出席して、東日本大震災からの復興状況を発表しました。彼の帰国報告から。
出席者(海外の研究者)の発言、「日本の報道からは、復興が遅れているという印象しか持っていなかった。日本政府がこれほどしっかり復興に取り組んでいるとは、知らなかった」。
日本人研究者の発言「インドネシアでは、3年で住宅が復旧した。日本はようやく着工した程度で、遅い」に対して、インドネシアの研究者は、「住民が自ら周辺の木材を使って家を元通りにしただけ。日本のように、防潮堤や高台移転などの安全対策をしっかり議論した上で住宅を再建していく方が、時間はかかるが賢明だ」と発言しました。
日本のマスコミの偏った報道は、困ったものです。マスコミの人と議論すると、「遅れている点を指摘することが、マスコミの使命」とおっしゃいます。そのような役割はあるでしょう。しかし、進んでいることも取り上げないと、偏った情報は、間違った情報になります。
また、この研究者の自虐趣味も、良くないですね。外国人に媚びを売るのも、悪い癖です。そうすることで、相手国を賞賛しているとでも思っているのでしょうか。学問や研究の世界で媚びを売っても、評価されないでしょう。
インドネシアの津波からの復興への取り組みの方が、日本政府の取り組みより優れていると、本気で考えているのでしょうか。もちろん、インドネシア政府も、復旧に力を入れています。しかし、日本のインフラや住宅の復旧は、技術と言い予算と言い、世界最高級のものです。

通史が書けない

川北稔著『私と西洋史研究』の続きです。
「岩波講座世界歴史」(全31巻、1969~1974年。これは私も買いました。高校生でした)が出た後、「世界史への問い」(全10巻、岩波書店、1989~1991年)がトピックス別の編集になります。「岩波講座世界歴史」(全29巻、1997~2000年)も、通史では書けなかったそうです。
・・・なぜ通史でできないかというと、歴史家のやっていることがみんなトピックスになってしまって、まとまりようがないという、そこに尽きると思います。先ほども少し言いましたが、時代区分とかというようなことが飛んでしまっている。時代区分ができないということは、ストーリーとして流れないということです。歴史が分断・分解されてしまって、一つのまとまりとして理解できなくなる・・・何かのトピックスについて、こういう状況でここが変わりましたという表面的な説明はできるんでしょうが、世の中全体がこういうふうに変わったから、こう変わったというふうには説明されない。世の中全体がこう変わったんだという説明をしようとすると、なんでそうなったのかを言わなければならなくなるから、みんなそこに触れないようになっているのです・・・(p199)。
私が、1995年に、当時の自治省財政局の補佐たちと「分権時代の地方財政運営講座」(全7巻、ぎょうせい)を編集した際に、岩波の「日本通史」を参考に、テーマ別の論説方式をとったことを思い出しました。私が担当したのは、第1巻『地方財政の発展と新たな展開』です。編集代表には、湯浅利夫・財政局長の名前を借りました。このシリーズは歴史書ではありませんが、戦後50年が経過し、地方行財政が一定の到達点に達したこと、そして新たな展開を求められているという問題意識から、各補佐にテーマごとに掘り下げてもらおうと企画したものでした。

海外に打って出る

古くなって、恐縮です。6月28日の日経新聞「企業転変、戦後70年」は、「民営化、構造改革を先導」でした。1980年代、中曽根政権での3公社の民営化が、構造改革を先導したとの記事です。国鉄が民営化され、経営とサービスが格段に良くなったことは、多くの国民が体験しています。他方で、民営化された専売公社の発展は、あまり知られていないようです。
次の指摘が印象的でした。たばこの国内市場が縮小する中で、JTは海外企業の買収に打って出ます。アメリカのRJRナビスコのアメリカ外事業を1兆円で買収し、世界的な銘柄と流通網を手に入れます。そして不良品が多発した会社を建て直し、買収を成功に導きます。JTのたばこ事業売り上げは、海外が国内を上回っています。民営化の際に調査したイタリアやフランスの公社は、再編の中で買収される側に回り、今は存在しないとのことです。
郵政民営化を調査したとき、ドイツ・ポストの幹部が、中国市場を念頭に置いて、「日本は、海外戦略をどう考えているのか?」と質問したことを思い出しました。ドイツ・ポストは、アメリカのDHLを買収して、国際市場で攻勢にでていました。(2004年欧州視察随行記
6月29日の日経新聞夕刊1面コラムは、宮原耕治・日本郵船相談役の「グローバル化と国益」でした。
・・・私の勤務する海運会社は、1980年代からのグローバル化の大波の中で、大半を占めるドル収入に見合うようドルコスト化を進めるなどして、何とか生き抜いてきた。海外売上比率も80%を超える「グローバル企業」だが、私の心は常に「日本企業である」。わが社グループの運航する約900隻の船のうち、3分の2は日本に寄港しない(つまり3国間輸送)、と言うと驚く方が多い・・・

楢葉町の避難指示解除方針

今日、原子力災害現地対策本部長の高木経済産業副大臣が、楢葉町の松本幸英町長に、避難指示を9月5日に解除することを伝えました。避難指示は、原子力災害対策本部が出しているので、その解除も原災本部決定が必要です。これは、追ってなされます(事務は、原子力被災者生活支援チームが担っています)。
これまで、原発事故による避難指示は、田村市と川内村の一部で解除しましたが、全体が避難している自治体では、楢葉町が初めてです。もちろん、これは帰還を強制するものではなく、帰りたい人が帰ることができるというものです。

歴史家と現在の問題

川北稔著『私と西洋史研究』の続きです。
・・・今、歴史家の発言というのは、ほとんど社会的な影響力がない・・でも、少なくとも、われわれ自身が個別のトピックスの中へ入り込んで満足するのではなくて、時代性とか、社会との関係とかをつねにどこかで考えていないと、うまくやれないと思うんです。
たとえば、20世紀末、イギリスの政界やジャーナリズムで話題になった「イギリス衰退論争」は、歴史家の議論と密接につながっています。
イギリスがほかの国に比べてダメになってきている、衰退してきている。これは自由主義が徹底されていないからだという話になって、サッチャーなんかが新自由主義の政策をガンガン進めたんですが、じつはそのとき、歴史学会でもものすごく大きな論争があって、歴史家だけでなく、政治家とか評論家を巻き込んだ論争になりました。産業革命が悪かったんだとか、市民革命がちゃんとできていなかったんだ、というような議論になっていったわけです。
日本で小泉純一郎さんや竹中平蔵さんが改革をやりだしたときも、それではまずいと言うことになったときでも、歴史家で発言した人、発言を求められた人がいたでしょうか。残念ながらまったくいない。なぜ発言を求められないかというと、歴史家がそういうことに関心をもっていないからです・・(p233)。