今日は、「新しい東北交流会 in 遠野」のために、岩手県遠野市に行ってきました。今回は、コミュニティ再建に絞った関係者の交流会です。自治体のほか、NPOの方々が参加してくださいました。町の再建にしろ、地方創生にしろ、コミュニティは重要な要素です。しかし、お金を出しただけでは作れず、写真にも撮れない(目に見えない)ものなので、どのようにして作り、また国民へ周知するのか。悩ましいです。復興庁の戦略は、町の再建のためにはコミュニティ再建が必要であることを関係者にPRし、それに参加してくださるNPOなどと過去の経験、先進事例を共有することです。そして、それらの取り組みを後押しすることです。今回も、阪神・淡路大震災、中越地震の経験者に来てもらって、話してもらいました。
遠野市は、皆さんも、柳田国男の『遠野物語』でご存じでしょう。北上山地にある、広い盆地です。今の季節は、稲が青々と育っています。少し早い新幹線で行き、一度乗ってみたかった釜石線に乗りました。いつもは、国道や高速道路で行くのですが(正確には、遠野を経由して沿岸部に行くのですが)、それと並行している鉄道を経験したかったのです。新花巻から遠野まで、約1時間ののんびりした旅です。本数が少ないのが、欠点です。
遠野市は、発災直後から、市長のリーダーシップの下、沿岸部の被災地への後方支援基地として、大きな貢献をしていただきました。市役所の建物も被災したのですが。自衛隊にしろ他の自治体からの応援にしろ、ボランティアやNPOにしろ、被災地が大きな被害を受けているときは、直接被災地に入ることは困難です。後方支援基地は、重要な役割を果たします。今日は、市長にもお会いして、お礼も申し上げました。今後、大きな災害が起きた際に、今回の遠野市の「支援」は、他の自治体のお手本になるでしょう。その実績を、記録誌としてまとめたほか、パネルなどにして展示してあります。多くの自治体で、参考になると思います。
また、富士ゼロックスが、CSRとして「遠野みらい創りカレッジ」を運営してくださっています。最近廃校となった中学校校舎を活用して、人材育成のプログラムを行っているのです。昨年で、4,000人の方が参加しています。少し手を入れた中学校は築20年の木造で、とてもすてきな施設です。 小泉進次郎・政務官が参画している「東の食の実行会」の7月10日のイベントも、ここを使っています。もちろん、このような活動も、施設があればできるものではなく、人とノウハウが重要です。ありがとうございます。このような活動が広がり、世間に認知されると、ソフト事業、人による地域振興、人作りが理解されるでしょう。繰り返しになりますが、お金を払えばできるものではなく、写真には撮れないのですよね。
そして、あのカッパ淵も、この施設の近くにあります。ここも見せてもらいましたが、カッパさんは出てきてくれませんでした。キュウリは、地元産の曲がったもの、それもツルに最初に実ったものでないとダメなのだそうです(笑い)。淵には、観光客のために、キュウリを付けた釣り竿が何本かおいてあって、横浜から来た小学生たちが挑戦していましたが、釣果は無しでした。あんなに大勢で押しかけては、カッパも気後れするでしょう。
月別アーカイブ: 2015年7月
今日は西へ東へ
「しそうし」って、ご存じですか。宍粟市は、兵庫県西部、姫路市の北、姫路駅から車で1時間くらいのところにある、山間部の街です。今日は、6時50分東京駅発の新幹線で姫路まで行き、車で宍粟市まで行きました。旧知の岡田初雄・元市議会議長の叙勲祝賀会でした。岡田さんとは、10年ほどのお付き合いで、9年前には、呼ばれて講演にも行きました(2006年3月4日)。岡田さんは、青年団活動以来、地域の活性化のために活動してこられました。その熱意に、私も共鳴したのです。
出席者の多くの方が「何で兵庫県の市議会議長の祝賀会に、復興次官が出てきて挨拶するの?」と、不思議がっておられました。珍しい男が遠くから出席したので、喜んでいただけました。
祝賀会を中座して、大阪まで車で移動。伊丹空港15時発の飛行機で、16時には福島空港へ。そこから車で移動して、福島県庁へ。18時からの「12市町村の将来像検討会」へ出席。提言がほぼまとまりました(NHKニュース)。23時半に、東京駅着。
伊丹から福島への飛行機が、ちょうどよい時間にあったので、この強行日程を組むことができました。この時期の出張には、ウエットティッシュが役に立ちます。職場には大きな箱でおいてあるのですが、出張にはポケットサイズを鞄に入れていきます。
明日は、岩手県遠野市です。カッパに会えるかな?
被災地への帰還、コミュニティ再建
被災地では移転先の街で、コミュニティをつくる必要があります。街並みが復旧しただけでは、「まち」はできません。原発事故で避難を余儀なくされた地域でも、帰還する場合には、コミュニティを再建する必要があります。7月24日の河北新報が、その試みを伝えています。「南相馬再生へ自治模索 帰還前に住民が独自策」。
生活道路の草刈り、墓地の管理など、これまで住民が一緒になって行ってきた「地域の管理」です。共同作業が、住民の団結を生みます。
現代のフランス、3
ドイツとフランスは、両国首脳が相手国の国内政治に直接介入することがあります。
2012年2月に、メルケル首相が、フランスのテレビに出演して、サルコジ大統領の再選支持を呼びかけました。現職大統領でありながら、サルコジ氏が劣勢で、有力対立候補のオランド(現大統領)が、EU各国で合意された協定の見直しを主張していたからだそうです。
遡ると、1992年9月にフランスで、マーストリヒト条約を批准するための国民投票が実施される直前に、コール・ドイツ首相がフランスのテレビに出演しました。2002年末、シラク・フランス大統領とシュレーダー・ドイツ首相が一緒にテレビ出演して、イラク戦争反対の意志を確認しました。2009年5月には、サルコジ大統領がドイツを訪問し、欧州議会選挙でドイツのCDU(キリスト教民主同盟)の候補者リストを支持しました。p194。
ここまで交流、融合がすすでいるのかと、驚きます。これまでの常識なら、「内政干渉だ」と批判されることでしょう。日中韓に置き換えてみると、首相や大統領、国家主席が相手国の選挙の際に、出かけていって特定候補を応援するのですから。
現代のフランス、2
渡邊啓貴著『現代フランス』の続きです。
経済成長によって、かつての保守対革新=資本主義対社会主義という、社会的・政治的対立構図が成り立たなくなりました。では、社会の亀裂と対立は、どのような構図になるのか。そしてそれは代表制民主主義において、どのように現れるのか。決して対立がなくなるのではなく、政党は新たな争点を立てて争います。一種、商品を売る会社の競争に似ています。
フランスにおいては、保守系も革新系も、様々な政党が合従連衡を繰り返し、盛衰を重ねます。地方選挙、国政選挙、そしてEU選挙と、そのたびごとにめまぐるしいほどに勝ち負けが変わります。すると、大統領が革新系で、国会及び首相が保守系というねじれ(コアビタシオン)、あるいはその逆も経験します。政権維持のために、しきりに内閣改造をします。大統領制のフランスと議院内閣制の日本という違いはありますが、日本だけがしきりに内閣を替えるのではないようです。
そして、しばしば街頭デモに、多くの大衆が参加します。そして内閣が掲げる政策を頓挫させます。市民による革命で政権を倒した経験は、国民にすり込まれているのでしょうか。このあたりは、フランス社会と日本社会の違いを感じさせます。
このように国民においても、政治家においても、政策を巡る競争は激しいのですが、昨日書いたように、国内の社会経済状況と国際的環境に規定され、保守と革新がそれぞれに独自性を発揮しようとしても、大きな流れは変わらないようです。その制約の中で、どれだけ独自性を発揮できるか、景気を上昇させることができるか、フランスの栄光を取り戻すことができるか、またよりよく統治できることを国民に訴えることができるか。そこに、政治家の力量が試されます。