川北稔著『私と西洋史研究』の続きです。
・・・今、歴史家の発言というのは、ほとんど社会的な影響力がない・・でも、少なくとも、われわれ自身が個別のトピックスの中へ入り込んで満足するのではなくて、時代性とか、社会との関係とかをつねにどこかで考えていないと、うまくやれないと思うんです。
たとえば、20世紀末、イギリスの政界やジャーナリズムで話題になった「イギリス衰退論争」は、歴史家の議論と密接につながっています。
イギリスがほかの国に比べてダメになってきている、衰退してきている。これは自由主義が徹底されていないからだという話になって、サッチャーなんかが新自由主義の政策をガンガン進めたんですが、じつはそのとき、歴史学会でもものすごく大きな論争があって、歴史家だけでなく、政治家とか評論家を巻き込んだ論争になりました。産業革命が悪かったんだとか、市民革命がちゃんとできていなかったんだ、というような議論になっていったわけです。
日本で小泉純一郎さんや竹中平蔵さんが改革をやりだしたときも、それではまずいと言うことになったときでも、歴史家で発言した人、発言を求められた人がいたでしょうか。残念ながらまったくいない。なぜ発言を求められないかというと、歴史家がそういうことに関心をもっていないからです・・(p233)。