あっという間に、また1週間が過ぎ、4月が終わりました。私の許しも得ずに(笑い)。こんなに早く時間が経つと、困ります。したいこと、やらなければならないことが、たくさんあるのに。復興庁では、新年度予算の執行、福島特措法改正案の成立とその施行準備、後期5か年の事業計画に向けてこれまでの総括作業など、忙しい日が続いています。4月は、6回、東北新幹線に乗りました。復興庁の仕事は、時間の経過、事業の進捗に従って、課題が新しくなります。多くの役所で通じる「去年どおり」や「前回どおり」では、できない仕事が多いのです。新しく異動してきた職員と一緒に、職員たちも頑張ってくれています。連休中も、復興関係のイベントなどに「勤務」する職員もいます。ありがとう。
今日から、大型連休が始まりました。すでに昭和の日から、お休みをとっている人もおられるでしょう。各地とも、天気も良さそうですから、春(初夏の気候ですかね)を、お楽しみください。
月別アーカイブ: 2015年5月
近世の村社会、石高による統治
水本邦彦著『村 百姓たちの近世』(2015年、岩波新書)が、面白くて勉強になりました。この本は、日本近世史シリーズの1冊ですが、日本の村がどのようなものであったかを、古地図や古文書を読み解いて、描いています。村というと、古くさく貧しいという印象を持ちがちですが、そうではありません。もちろん、新書版なので、村の暮らしのすべてが紹介されているわけではありません。例えば冠婚葬祭などは、でてきません。
本書の視点は、全国の村が、米の生産量で把握され、統治されることです。中には、一つの村が、いくつかの領主に分割統治されることもあります。相給村というのだそうです。飛び地が入り交じります。権力者の歴史より、このような視点の歴史は、面白いですね。お薦めです。1月以上前に読んで、いろいろと印象に残ったことがあったのですが、忘れてしまいました。反省。
賠償が、難しい問題を生む
産経新聞のオピニオン欄「iRONNA(いろんな)」に、大江紀洋さんが、「原発賠償は終わりにしよう」を書いておられます。
・・・「賠償金でパチンコ、高級車」。よく耳にするこんな話だけでは本質は捉えられない。移住しようとしても帰還しようとしても、賠償金の格差が人々を曇らせてきた。損害賠償では未来は作れない・・・
・・・もちろん、避難者の生活再建はいまだ十分ではない。しかし、とくに「避難生活に伴う精神的苦痛に対し1人あたり月額10万円を支払う」という精神的損害賠償のあり方は、自立に進もうとする人を足踏みさせてしまうように見える。例えば、除染やインフラ整備が終わった楢葉町で、昨年前半には行うはずだった避難指示解除がいまだ実行されていない大きな理由の一つがこの賠償金である。避難指示解除から相当期間(この場合1年とされている)が過ぎると賠償金が打ち切られるからだ。
ある程度の期間分を算定して一括で前払いする、弱者への対応は別途用意するなど、細やかな制度設計は必要だろうが、震災後5年というこのタイミングで、避難区分などによらず、全域における「打ち切り」という方向性を打ち出していくことが、福島の未来のために必要ではないだろうか・・・
・・・現状、支払われている賠償金は不十分なのだろうか? 実は、これまで合意に達して支払われた賠償金の平均額はきちんと開示されている。最新の資料は、2014年12月末時点でのもので、原子力損害賠償紛争審査会の配布資料として公開されている。これによれば、4人世帯の場合、詳細は表のとおりだが、個人賠償(精神的損害賠償、避難費用、就労不能損害等の計)は4人合計で約4000万円、宅地・建物で約4000万円、家財で約500万円、田畑・山林で約500~1000万円、住宅確保損害で約2000万円が支払われている。 これらの各項目ごとの平均額は、それぞれ母集団が異なる(全てを請求しているとは限らないし、持家や田畑は所有している人といない人がいる)ため、足し上げることには注意を要するが、単純合計すれば、帰還困難区域で1億5318万円、居住制限区域で1億503万円、避難指示解除準備区域で1億351万円となる。賠償金がどの程度であれば適切かという判断は非常に難しいが、政治のリーダーシップでそろそろ区切りを示していくことが欠かせないのではないだろうか・・・
難しい問題です。原文をお読みください。