司馬遼太郎著『幕末維新のこと』(2015年、筑摩書房)「人間の魅力」p295~。
昭和初年から太平洋戦争の終了までの日本は、ながい日本史のなかで、過去とは不連続な、異端な時代だったこと。すなわち、統帥権の無限性と帷幄上奏権という憲法解釈が、日本国をほろぼしただけでなく、他国に対して深刻な罪禍のこしたことを述べて、次のように書いておられます。
・・・要は昭和の戦争の時代は日本ではなかった―幾分の苛立ちと理不尽さを込めて―私はそう感じ続けてきました。
もっとも、この考え方は他のアジア人には通じにくいですな。かれらにとって太平洋戦争の時代の日本が日本像のすべてで、兼好法師や世阿弥や宗祇の時代の日本や、芭蕉や蕪村、あるいは荻生徂徠の時代の日本、もしくは吉田松陰という青年が生死(いきしに)した時代の日本など思ってはくれません。くだって日露戦争の時代の日本像ぐらいを参考材料として日本を見てくれればありがたいのですが、他の国の人にそんな押しつけをするわけにはいきませんしね・・・