司馬遼太郎著『明治国家のこと』「日本人の二十世紀」p321~。
・・・さきに、第一次大戦によって陸海軍が石油で動くようになってから、日本の陸海軍そのものが半ば以上虚構になった、という意味のことを言いました。
むろん、そのことは、陸軍も海軍も、だまっていた。やがて昭和になってから、陸軍が、石油もないのに旺盛な対外行動をおこす。それが累積して歴代内閣が処理できないほどの大事態になり、事態だけが独り走りする。ついにアメリカをひき出してしまう。
それで、日本は戦争構想を樹てる。何よりも石油です。勝つための作戦よりも、まず一路走って石油の産地をおさえる。古今、こういう戦争があったでしょうか・・・
・・・南方進出作戦―大東亜戦争の作戦構想―の真の目的は、戦争継続のために不可欠な石油を得るためでした。蘭領インドネシアのボルネオやスマトラなどの油田をおさえることにありました。
その油田地帯にコンパスの芯をすえて円をえがけば、広大な作戦圏になる。たとえばフィリピンにはアメリカの要塞があるから、産油地を守るためにそこを攻撃する。むろん、英国の軍港のシンガポールも、またその周辺にあるニューギニアやジャワもおさえねばならず、サイパンにも兵隊を送る。
それらを総称して、大東亜共栄圏ととなえました。日本史上、ただ一度だけ打ち上げた世界構想でした。多分に幻想であるだけに―リアリズムが希薄なだけに―華麗でもあり、人を酔わせるものがありました・・・
・・・ともかくも開戦のとき、後世、日本の子孫が人類に対して十字架を背負うことになる深刻な思慮などはありませんでした。昭和初年以来の非現実は、ここに極まったのです。
地域への迷惑も、子孫へのつけもなにも考えず、ただひたすらに目の前の油だけが目的でした。そこらから付属してくる種々の大問題は少しも考えませんでした・・・