国の官庁では、この夏から、勤務時間を朝方に移す試みが行われます。「朝日新聞記事」
・・政府は27日、国家公務員の長時間労働の抑制をめざし、7~8月の2カ月間の勤務時間帯を見直す実施方針をまとめた。出勤時間を1~2時間程度早める代わりに帰宅時間も早めるなど、霞が関を「朝型シフト」にする取り組みだ・・。
若手職員には、「そんなの無理ですよ」と異論もあるようです。確かに、現在の仕事のやり方を前提にすると、難しい点もあります。
一つは、国会待機です。国会審議の議員の質問通告が、前日の夕方や夜に出されることも多いです。すると、質問が出そうな部局(それがわからない時は全部局)の職員が待機します。そして、質問に当たったら、それから答弁案を作ります。私のような上司は、自宅でパソコンによる「在宅勤務」ができますから、早く帰ることは可能ですが。よって、今回の試みも、国会開会中を避けているようです。
二つ目は、「夜に働く方が働いた気になる」という、霞が関の風土です。法令審査や予算査定業務、あるいはそれぞれの係の仕事を、夜にまで行うことが当たり前になっています。これは一つには、昼は来客や問い合わせがあって、仕事に集中できないという理由もあります。夜だと、集中できるのです。また、交渉ごとは「深夜まで交渉して、お互いこれ以上は仕方がない」という、言い訳を作る仕掛けでもあります。
これは、同じ時間をかけるのなら、深夜でなく昼間に移すことは可能です。そして、これによって、長時間労働が減ると思います。
参考、民間企業の例(1月14日の記事)。
私は、今でも8時半出勤、実際はもう少し早く出勤しているので、朝方勤務形態になっても不都合はありません。でも、若い人には、早起きは苦手な人も多いので、困る人もいるでしょうね。
私も、若い時はそうでした。しかし、大臣秘書官になって、6時出勤(それから大臣のお迎えに行く)になり、そのために4時半に起床することが普通になったので、その後は早起きが苦にならなくなりました。
月別アーカイブ: 2015年3月
復興特別委員会質疑、2
今日は、参議院復興特別委員会で、大臣所信に対する質疑でした。復興庁統括官3人がそろって、参考人で答弁しました。私も、その一人です。職員に、「僕が、答弁に立つのか」と聞いたら、「はい、岡本統括官の出番を作りました」とのこと。余計な配慮です(笑い)。
しかし、質問は「ワーク・フォー・東北」についてであり、ありがたかったです。答弁資料には書いてなかったのですが、次のようなことをしゃべりました。
・・ワーク・フォー・東北は、復興庁若手職員と現地で活躍しているNPOの職員が考えてくれました・・最初は復興庁が取り組みましたが、現在は日本財団が担っていて、復興庁との協同事業になっています。この試みは、地方創生、地域振興の先駆けであると、自負しています。これからも推進します・・
復興特別委員会質疑
今日3月26日は、衆議院復興特別委員会で、大臣所信に対する質疑が行われました。国会が始まると、委員会でまず行われるのが、大臣所信に対する質疑です(補正予算と関連法案がある場合は、それが先に来ます)。
事前の質問通告にない質問もいくつか出て、内心あわてましたが、大臣、副大臣、政務官が臨機応変に答弁してくださいました。質疑の後、内閣から提出している「福島特措法改正案」の提案理由を、大臣が読み上げました。次回の委員会で、法案について質疑をしてもらう予定です。日程は、まだ決まっていません。他方、参議院復興特別委員会は、明日、大臣所信に対する質疑が行われます。
昨日今日と、放課後は、職場から送ってもらった翌日の答弁案を確認しています。異業種交流会の場では、携帯電話にメールが来ます。着信メロディが何度も鳴るので、落ち着いて会話して(飲んで)いられません(笑い)。早々に切り上げて帰宅し、自宅のパソコンで見ています。
すごい職人
朝日新聞夕刊の「凄腕つとめにん」は、毎回びっくりするような職人さんが出てきます。3月23日は、「飼育するゴキブリ、100万匹」のアース製薬・研究部生物飼育課係長、有吉立さんでした。世の中には、いろんな仕事があるものです。ゴキブリに罪はないのですが、毎月、殺虫剤の試験のため、1万匹が殺されるそうです。ゴキブリが好きという方以外は、食事中は、読まない方が良いですね。ゴキブリそのものの写真は載っていませんが。
中世と近代との違い、ものの認識、2
司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「ポーツマスにて」の続きです。p99。日露戦争後のポーツマス条約について。
・・ロシアからもっとふんだくれるかと思っていた群衆が、意外ととりぶんのすくない講和条約に激昂して暴動化した。
「群衆」
これも近代の産物である。江戸期の一揆は、飢えとか重税とか、形而下的なものでおこった。
ところが、明治38年に、ポーツマス条約に反対した「群衆」は、国家的利己主義という多分に「観念的」なもので大興奮を発した。日本はじまって以来の異質さといっていい。中世では個々の人間が激情に支配されたが、近代にあっては個々のなかではむしろそういう感情が閉塞し、どういうわけか集団になった時に爆発する。中世の激情が集団の中でよみがえるといっていい・・・