今日は16時から衆議院予算委員会分科会で、答弁。17時に退出して、17時15分から官邸で復興推進会議(全閣僚会議)へ。といっても、私の役割は、この会議を設営することです。
会議では、これまで4年間の実績を、大臣から報告しました。資料1-2が、4年間の成果と課題です。資料1-1はその簡略版(1枚)です。要約すると次の通りです。
「復興4年間でインフラ復旧は概ね終了し、住宅再建は工事が進んでいる。併せて、産業・なりわいの再生と被災者の心身のケアに取り組む。
福島の復興・再生については、早期に帰還する人、長期に待つ人、新生活を選ぶ人、といった避難者の意向に応じた対策を進める。」
津波被害地では、復興の道筋が見えてきました。しかし、原発被災地では、まだ災害が終わっていません。資料1-2の最後のページ(p16)に、原発災害と津波地震災害との復興段階の違いを、図にしておきました。今回の復興推進会議は、原子力災害本部と合同で開きました。
p11には、この大震災で行った「これまでにない政策」の代表例を、載せておきました。これだけの新規施策を打ちました。また、p15には、復興交付金事業が終了する市町村一覧を、載せておきました。順次復興が完了します。
あの4年前の大災害と混乱を知っている者として、ここまで来たかと、感慨深いものがあります。もちろん、復興はまだまだ道半ばです。会議では、総理から、「平成28年度以降の後期5か年の新たな復興支援の枠組みを策定するよう」指示が出ました。被災地や復興を進める関係者に、安心して次の5年間の仕事をしてもらえるようにです。そのために、1年以上前から手を打ちます(今はまだ26年度です)。このような対応も、異例のことです。
総理は、その後、記者会見されました。そこでは、「福島再生のための政策パッケージを早ければ本年5月にも決定し、福島の自立に向けた将来像をこの夏頃までに取りまとめる」と表明されています.
4年を迎えるこの時期に、官邸で会議を設営し、そこで何を公表し、全大臣と国民に見てもらうか。次の段階に進むために、何をしなければならないか。それを考えるのが、私の仕事です。それに基づいて、職員が資料を作り、各省と調整します。官邸との調整もあります。職員は、この大変な作業をしてくれました。会議だけを見ると簡単に見えますが、準備は大変なのです。職員に感謝します。もっとも、私たちの仕事にまだ終わりはなく、総理からいただいた指示に、答を出す必要があります。もちろん、現地での復興作業も、進めなければなりません。
私たちの仕事の現場は被災地であり、上司は総理大臣と復興大臣であり、説明すべき相手は国会と国民です。
職員には少し休憩を取ってもらって、次の仕事に取りかかりましょう。国会は続いていますし、提出した法案の審議もこれからです。新年度の準備もしなければなりません。仕事がよくできたご褒美は、より難しい次の仕事です(これを読んだ職員の、ため息が聞こえてきそうです。苦笑)。
明日3月11日は、幹部が手分けをして、各地の記念式典に出席します。私は、盛岡市で経済同友会のシンポジウムです。