教育が、社会の発展を支えます。優秀な労働力を提供できるかどうかは、その国が発展するかどうかを、左右します。また、教育が、社会の格差を縮小します。もちろん、生まれや財産でなく、本人の能力が発揮できる社会においてですが。そして、金持ちの子弟でも貧乏な子弟でも、平等に教育を受けることができるという社会条件も必要です。
「アメリカ経済を考える。格差問題に関する米国の論点(6)」(東京財団、安井明彦さん。2015年1月27日)、「米大学卒業率、富裕層と貧困層の差が大幅拡大」(ウオールストリートジャーナル日本版、2015年2月4日)。
このようなアメリカでの議論を読みながら考えました。これらの記事では、大学卒業率が取り上げられています。しかし日本では、大学進学率はよく聞きますが、卒業率は余り議論にならないようです(間違っていたら、ごめんなさい)。それは、進学率と卒業率に、大きな差がないからでしょうか。でも、高校でも、中退や進路変更する生徒が大きな割合でいます。たぶん、大学でも同じでしょう。
すると、なぜこれまで、卒業率が議論にならなかったか。たぶん、高度成長期以降、高校進学率を上げることが、日本の一つの社会目標でした。そして高校がほぼ全入になると、大学進学率を上げることが次の目標になりました。それを、未だに引きずっているのではないでしょうか。もう一つは、大学進学が目標であって、卒業が重視されていないこともあります。各高校にとって、難関大学に卒業生を送ることは一つの「指標」です。しかし、大学にとって、卒業生の「品質保証」は、まだ十分に行われていないようです。学校ごとに、どの程度の中退率があるのか、公表されているのでしょうか。