日本人論、日本社会論

1月13日の読売新聞「戦後70年想う」は、中根千枝先生でした。『タテ社会の人間関係』(1967年、講談社現代新書)は、出版以来半世紀。累計116万部で、今も年に1万部が売れるのだそうです。日本の総人口が1億人ですから、100人に一人は読んでいることになります(50年間という時間を無視しています)。
私も、大学時代に読んで、なるほどと思った記憶があります。ところで、私が大学生の頃は、日本人論・日本社会特殊論が、一つのはやりでした。

復興、教訓を生かす

1月17日は、阪神淡路大震災から20年でした。各紙が特集を組んでいましたが、前回の教訓を東日本大震災に生かしていることを伝える記事も、多かったです。毎日新聞では、「阪神の経験、東北に」という特集を組んでいました。兵庫県と県内自治体から、被災地に延べ17万8千人の職員が派遣され、現在も142人が活動しています。自治体から大勢の職員を、かつ継続的に派遣することも、今回の新しい取り組みです。このほかの自治体も含め、ありがとうございます。また記事では、派遣された職員の活躍ぶりが紹介されていますが、特にコミュニティの再建支援が取り上げられています。
住宅を作っただけでは孤立が生じることを、阪神淡路大震災で学びました。今回の復興に際して力を入れているのが、健康やコミュニティの再建です。これは、被災者自身に取り組んでもらわなければならないのですが、その支援を経験のある自治体職員やNPO職員が行っています。復興庁が、その必要性を関係自治体に周知し、また彼らの活動を支援しています。

現在の日本を分析する

昨日、月刊『中央公論』1月号を紹介しましたが、同号には、次のような論考も載っています。
山崎正和「知識社会論的観点から戦後70年をみる」
猪木武徳「悲観論を裏切り続けた日本経済の人材力」
鼎談、竹内洋、佐藤卓己、佐藤信「論壇は何を論じてきたか」
それぞれに、鋭い日本社会分析です。学校では教えてくれない、また新聞を読んでいるだけではわからないことです。これらも、併せてお読みください。

日本の保守主義、宇野先生の論考

月刊『中央公論』1月号に、宇野重規・東大教授が、「日本の保守主義、その「本流」はどこにあるか」を書いておられます。
・・現代は、「保守主義者」が溢れている時代である。それでは、そのような保守主義者たちは、いったい何を「保守」しようとしているのか。日本の歴史や文化、国家観といったものから、自然環境や国土、家族や共同体、さらには人間の生き方や組織のあり方まで、その内容は実に幅広い。
とはいえ、その中身を深く検討すれば、多くの保守主義者たちの間で、実はほとんど共有するものがないことがわかるだろう・・
として、エドマンド・バークの保守主義(イギリスが歴史の中で作り上げてきた自由を守るための反フランス革命)、明治維新期の保守主義、明治憲法下での保守主義(伊藤博文ほか)、戦後の保守主義(吉田茂ほか)、大平正芳首相の試みなどから、日本の保守主義を解説しておられます(合計14ページ)。一読をお勧めします。
日本ではいつの頃からか、新しいことはよいことで、古いことは「古めかしい」と否定的な評価を受けるようになりました。これは、畳と女房に限らず、新車も鮮魚も新築住宅もです。明治以来政治的にも、「進歩」や「改革」が価値を持ち、「保守」や「伝統」を名乗る政党や新聞社はあまり見かけません。政党や政治家さらにはマスコミが訴える政策も「大胆な改革」であり、「保守」「守旧」といった単語を見ることはありません。
政治や言論の世界で「保守」が成り立つためには、2つの要素が必要でしょう。1つは、対立する勢力・理論として「革新」があること。もう一つは、守るべき「伝統」「価値」を明らかにすることです。
戦後日本では、革新を名乗る党派が社会主義や共産革命を目指し、挫折しつつも、その旗を降ろしませんでした。他方で、軍国主義復活を訴える勢力は、敗戦を経験した国民に支持を受けることはできませんでした。そして、自民党が革新勢力に対する「保守」という位置づけにありながら、改革を進めてきました。「革命」と「改革」のシンボル争い、あるいは路線争いにおいて、保守による「改革」が国民の支持を得たのです。
現在日本において、「保守主義」の対立語は、何でしょうか。ほぼすべての政治家や政党が改革を標榜する中で、そして自民党が改革を主導する中で「保守主義」が成り立つためには、それに対立する「××主義」が必要なのです。これは、政党だけでなく、言論界・マスコミの責任でもあります。
もう一つの守るべき「伝統」も、あいまいです。論者によって異なるのでしょうが、共通理解がないようです。これは、改革側が何を破壊するのかを明確にしないので、守る側も何を保守するかが曖昧になるのでしょう。また、保守主義の位置に立つ自民党や議員が改革を主張する、しかもしばしば「聖域なき改革」を掲げていることも、混乱を招きます。
主要政党がすべて「改革」を掲げる中で差別化を試みるなら、「急進的改革」か「漸進的改革」しかないでしょう。もちろん、特定分野(利益集団)については「守り」、それ以外の分野では「改革」という、利益や社会集団による差別化があります。
国民の多くが、主義や思想より、現世利益・豊かさや便利さを重視する現代日本社会にあっては、生活の安定という「伝統」と経済発展や便利さという「改革」が、同居しています。また、お正月の初詣、お葬式といった生活慣習において、伝統様式と伝統的精神を守っています。政党やマスコミの議論を横目に、国民は日常の生活において、保守と改革を使い分けているのでしょう。
国民にとって、路線争いよりも日々の生活が重要です。これは現代日本に限ったことではないですが。経済がそこそこ良好で、社会が安定し、それなりに幸せなら、主義主張の対立は興味を呼びません。路線対立が先鋭化するのは、その社会の危機(革命時)や社会内の亀裂が大きくなった時でしょう。そう考えれば、現在の日本の政治や言論界で路線対立が盛り上がらないことは、よいことなのかもしれません(同号では、「論壇は何を論じてきたか」という鼎談も載っています)。
この問題は、このような短い記述では議論しにくいことであることを承知で、書いてみました。宇野先生の論文を読まれることをお薦めします。すみません、本屋には、もう2月号が並んでいます。

被災企業支援、阪神淡路との違い

1月16日の読売新聞連載「教訓阪神大震災20年」第5回は、「企業支援、脱付け焼き刃」でした。阪神大震災の際にはなかった、中小企業の復旧支援制度が紹介されていました。これは、東日本大震災に際して、経済産業省中小企業庁が作ってくれた制度です。「グループ補助金」と略称しています。被災企業が複数で共同して事業復興計画を作り、地域の復興に貢献すると認められると、施設設備復旧費の4分の3の金額が国費で補助されます。これまでに、約1万社がこの補助を受けています(最近の採択例)。かつては、「民間企業は、自己責任で事業を行うもの」というのが「行政の哲学」でした(どこにも書いていない不文法でしょうか)。よって、儲けも損も、会社次第。災害があっても、政府は緊急に低利融資を行う程度でした。今回の大震災では、大きく転換して、被災企業の復旧を国費で支援しています。その代表がこの補助金です。また、工場や店舗を無料で貸し出すこともしています。
記事には、次のように書かれています。
・・過去の災害での中小企業支援は、低利融資が関の山だった。グループを「地域復興のリード役」とみなし、公費を民間企業に直接投入する大胆な試みは、震災後に急きょ検討され、3か月足らずで打ち出された・・
私も、この英断に驚きました。何度も繰り返しているように、インフラや住宅が復旧しただけでは、町の賑わいも地域の生活も戻りません。働く場や商店が必要なのです。都会で、店を開けばお客がたくさん来て儲かるところなら、民間企業の自主性に任せておけばすみます。しかし、過疎地では、高齢化した店主が事業再開をあきらめる場合も多いのです。
これまで、グループ補助金に使った総額は、1万社に対し、4,500億円です。これによって、再開した工場で働くことができ、町の賑わいが戻り、再開した商店で買い物ができるのです。これをしなかった場合の失業者や生活保護の増加といった「財政の損得勘定」だけでなく、金銭評価できない、家族の喜び、町の賑わい、暮らしの便利さにも大きな効果がありました。関係者からは、「ヒット作」と評価されています(もちろん、何でも国費で支援すればよいといったものでもありません)。
的確な記事を書いていただき、ありがとうございます。インターネットで読めないことが残念ですが。