東京新聞が、「証言、福島第1原発。全電源喪失の記憶」を連載しています。1月7日の第33回は、「本店、現場を想像できず」でした。
・・福島第1、第2原発の事故では、現場の状況を想像できない東京電力本店の言動に、現地で対応している所長らがいら立ちをあらわにする場面が何度もあった。第2原発所長の増田尚宏(53)も、よく覚えているシーンがある・・
大震災が起きた3月11日午後6時過ぎ、本店で送電線網を管理する担当者から「富岡線を切っても良いですか」との打診がありました。富岡線とは、第2原発にある4回線の外部電源の一つで、この回線だけが停電を免れました。この富岡線が生き残ったので、原子炉に水を入れたり水位計が使えたのです。この線が生き残ったことが、すべての外部電源を失った第1原発との明暗を分けました。その命綱を切ってもよいかと、本店は聞いてきたのです。富岡線は、東電の配電網の一つです。増田氏の発言です。「首都圏からはるかかなたに一本ぶら下がってふらふらしている系統なんて切っちゃった方が、首都圏の復旧が早くできると考えたんじゃないですかね。第2原発をなんだと思っているんだ、ふざけんじゃねえ、と思いました」。
また、13日頃には、原子炉注水に使える濾過水タンクの水が減り、枯渇しました。津波で破損した配管から水が漏れていたのです。増田所長は本店に、4千トンの水を送るように求めます。本店から「何とか水を調達できたので送ります」と回答がありましたが、それは4千リットルの給水車でした。本店は、飲料水と理解したようです。
・・増田は「これほどまでに感覚が違うのか」とがくぜんとしたが、怒りはしなかった。そして免震重要棟の緊急時対策本部内にいる部下たちに向かってこう言った。「もう人を当てにしても仕方がない。自分たちでやろう」・・
第1原発の指揮を執った吉田所長の苦労は、よく取り上げられます。しかし、第2原発を無事に冷温停止させた増田所長の功績は、あまり取り上げられないようです。外部電源が一つ残ったという違いはありますが、第2原発も第1原発と同じ状況にありました。一歩間違えれば、また少し対応が遅れれば、メルトダウンする可能性はあったのです。しかも事故当時、一部が運転を停止していた第1原発と違い、第2原発はフル稼働していて、危険度は第2原発の方が大きかったのです。増田所長は、第2原発での勤務が長く、施設・設備のすべてを知っていました。その幸運もありました。冷静に全体像を把握し、想像力を働かせ、そして判断を下していった増田所長。その功績は、もっと評価されて良いと思います。