今日26日は午後から、仙台で開かれた「ワーク・フォー・東北」の集合研修会に、参加しました。民間から被災地に支援に入ってくれている30人が、参加してくれました。彼らを被災地に送り込んだら終わりではなく、悩みを聞いたり相談に乗るなどの、お世話や「職員管理」も必要です。
民間の人たちが、長期間腰を据えて、自治体や関係団体に所属して仕事をする。これまでにない取り組みです。ボランティアの応援もありがたいのですが、発災当初のように、単純作業でたくさんの人に来てもらいたい時期は過ぎました。特定の分野でそれにあった能力を持った人に、長期間仕事をしてもらいたいのです。しかし、企業の仕事の仕方と、市町村役場の仕事の仕方(流儀、風土)は、大きく違います。また、役場は、そんな民間人を使ったことがありません。それは、中央官庁でも同じです。民間人から見たら、「役所の壁」です。
たくさんの職員を送り込んだ側としては、彼らが能力を発揮できているか、悩みはないか(もちろんあります)、それを拾い上げて仕事ができるようにする責任があります。久しぶりに会った人たちは、それぞれ元気に、しかしいろいろと悩んでいました。志の高い彼らを活用しないのは、もったいないです。
対策の一つは、受け入れ側の役場の意識改革、そのための助言でしょう。どのような課題を、彼らに担当してもらうか。目標と任務と進め方を明示しなければなりません。しかし、通常の役場仕事は、それを明示することなく、暗黙知の世界で進めます。特に小規模の役場では、これまで法律に決められたことをすればすみました。また、顔見知りの職員ばかりで、声に出さなくても仕事は進みました。
しかし、千年に一度の災害をうけ、それを復興するには、これまでにない仕事をする必要があります。前例通り、言わなくても分かる、というわけにはいきません。民間人が役所に入って、民間流の仕事の進め方を持ち込む。「役所の壁」を壊す、壮大な挑戦でもあります。うまくいっている成功例を示すことで、世間に認知してもらえる、また他の市町村も活用できると思います。
月別アーカイブ: 2014年9月
被災地企業支援、百貨店協会の協力
被災地では、生産の施設設備を復旧しても、売り上げが回復しないことがあります。東北の良い産物をどのようにして、消費者に買ってもらうかが、課題です。
日本百貨店協会が、百貨店バイヤーが選んだ、東北の産品を紹介するカタログを作成してくれました。百貨店の信用力は大きいです。その買い付け人・目利きが選んでくれた産品です。9月27日土曜日には、仙台でイベントを開催し、竹下大臣も出席します。パンフレットも、その時点で公開します。お待ちください。
この試みは、復興庁の「新しい東北」先導モデル事業の一つです。実績と信用力のある企業や団体と、被災地で悩んでいる企業を結びつけること。これが、新しい産業支援の手法です(9月21日の記事)。
百貨店協会は、このほかにも、さまざまな復興支援をしてくださっています。ありがとうございます。
異業種交流、勉強会
今日午後は、ある経済団体の幹部さんたちと、復興についての勉強会。ありがたいことです。社会のオピニオンリーダーたちに、復興の現状と課題を説明できる機会をもらえるのですから。この方々の時間当たり費用を考えると、短時間で内容のある説明をしなければなりません。質疑応答も、「真剣勝負」になります。週末の休日に、資料を整えた甲斐がありました。
放課後は、NPOの人たちと意見交換会。といっても、出席者が若く、私が経験を一方的にしゃべっていたようです(反省)。
異業種交流・意見交換会は、勉強になり、効果があります。
けんかの仕方と付き合い方
個人でも組織でも国家でも、いさかいは避けられません。競合や交渉、さらには喧嘩が起きます。喧嘩が昂じると、無視、悪口、そして戦いにまで発展します。
しかしその場合に、指揮官たる者は、収め方を考えておく必要があります。相手にどんな譲歩を求めるのか、戦いまで持ち込む覚悟があるのか。
しばしば、組織内や国内向けに、威勢のよいことを言いたがる人がいます。戦前の日本にもいました。マスコミも軍部もそうでした。でも、戦争に負けたときに、その人たちは責任をとりませんでした。本当に強くまた大人なら、相手を一方的に貶めるような発言はしません。よく言われますが、日露戦争の時は、最初から収め方を考えていました。
主戦論は、見かけは威勢がよいです。そして、国内基盤が弱い場合に、威勢が良い人が出てきます。しかし、国内向けと国外向けを、間違ってはいけません。威勢の良い主戦論はしばしば感情論であり、合理的な裏付けがありません。応援団やサポーターもそうです。戦っている本人たちは、感情や空理空論では勝てないのがわかっているので、理性的に考えます。しかし、どの国でも応援団はお気楽に、「我が民族は優秀だ」といった感情に訴えます。
戦いまでもつれ込んだ場合、一方が他方に降伏すると、けんかは終わります。しかし、長い目で見たときに、それでは終わりません。一見さんとの喧嘩ならそれっきりですが、将来にわたって付き合わなければならない場合は、尾を引くのです。ご近所だとか、同業他社だとか。国内でも国際的にも。負けた方が忘れればよいのですが、忘れません。たぶん、永久に。この項続く。
アメリカ政治、社会倫理的争点
東京財団のリポートから。
アメリカの中間選挙で、同性婚が争点になるかもしれないと伝えられています。「社会的争点で守勢に回る共和党」。このほか、人工妊娠中絶など「社会的」「宗教的」な争点が、政治・政党間で争われます。社会的争点という表現では、貧富格差などを思い浮かべるので、倫理的争点と呼んだら良いのでしょうか。
日本の政治では、このような争点は、どのように扱われているか。マスコミは、これらの争点をどう扱っているか。行政府(官庁)は、どのようにかかわるのか。そのような点に、私は関心があります。