今日は、岩手県へ

今朝はまず、新しい副大臣、政務官を迎えて、新体制での復興庁の幹部会議を開催。大臣記者会見の後直ちに、大臣のお供をして、盛岡へ。岩手県知事との意見交換、岩手復興局での職員訓示、インタビューなどを、こなしてもらいました。宮城県知事とは、8日月曜日に会ってもらう予定です。
大臣への説明は、今日も新幹線の中で。月曜日以降の資料も原案を送ってもらい、車中で手を入れて本庁に送り返し、そして完成してもらっています。その合間に、携帯電話に、メールや電話が入ります。便利になったと言えば、そうなのですが・・。
ところで、改造内閣発足の閣議で、「基本方針」が決定されています。その1番目は、復興の加速化です。
「まず何よりも、「閣僚全員が復興大臣である」との意識を共有し、省庁の縦割りを厳に排し、現場主義を徹底することにより、被災者の心に寄り添いながら、東日本大震災からの復興、そして福島の再生を、更に加速していく。」

竹下新大臣始動、早速福島へ

今日は早速、新大臣のお供をして、福島まで知事との意見交換に行ってきました。昨日夕刻に大臣が任命されたばかりですが、なるべく早く現地に行こうとの趣旨で、まず福島県へ。知事との意見交換、福島復興局での職員への訓示、地元紙のインタビューなどを、精力的にこなしてもらいました。
この様子は、読売新聞夕刊の1面トップ、NHKニュースなどにも取り上げられました。大臣と知事との会談が和やかだったのは、お二人は古い友人なのだそうです。
昼過ぎには東京に戻って、新旧大臣の引き継ぎ、閣議(副大臣と政務官の任命)、インタビュー、今後の日程の打ち合わせと、忙しい一日でした。大臣には申し訳ないのですが、新幹線の車中で資料をご説明をしたり・・。仕方ないですね。
明日は、大臣は閣議や庁内での行事をした後、岩手県知事との意見交換に行かれます。
これだけの行事や行動を、急に計画し準備するには、大変な企画力、調整能力が必要です。大臣の日程、相手の都合、列車の手配など、その合間を縫っての勉強会とその資料作り。支えてくれる職員たちに、お礼を言います。

内閣改造、新大臣

今日3日に、内閣改造がありました。復興庁では、竹下亘新大臣をお迎えしました。新大臣は、宮中行事、官邸での一連の行事を終え、22時過ぎから官邸での記者会見。22時半に復興庁に初登庁、記者会見などを終え、すべてが終わったのは23時でした。明日は、早速、福島への訪問です。
近年は、毎年のように組閣(首相の交代)や内閣改造があったので、役所側も「恒例行事」となっていました。今回は2012年12月以来なので、約2年ぶりです。大臣交代が毎年あると、昨年の例を覚えている職員が多いのですが、2年ぶりとなると、経験した職員が少なくなります。
復興庁では、私以外はほぼ全員が、初めての経験でした。でも良く準備をしてくれて、円滑に進めることができました。ありがとう。明日は、副大臣と政務官の指名があります。

ジャーナリズムの現状を憂える、2

大鹿靖明編著『ジャーナリズムの現場から』の続きです。「あとがき」から(p335~)
・・新聞や放送のかなり多くのニュースは当局発表に依存している。朝日、毎日、読売の3大紙の朝刊に占める発表モノの記事の面積比率は49~55%を占め、発表モノに少し独自の味付けをした記事を入れると60%にもなる。解説記事などを含めて発表モノに端を発してつくられた記事まで含めると、紙面の面積における発表依存度はなんと80%に達する。
しかも新聞記者が特ダネと称する記事の少なからずは、実は当局者(官公庁、捜査機関、大企業)のリークか、少なくとも当局者の意図に沿う報道にすぎない。発表の直前に掲載されることの多いリーク型の特ダネ記事は、読者や視聴者の視点に立てば、発表モノと何ら変わらない。こうした記者クラブ型とも呼べる報道は、常に当局者に依存し、発表主体である当局の動きに受動的になりがちだ。クォリティーペーパーといわれることがある日経新聞だが、海外メディアからは「大きな『企業広報掲示板』」「大量のプレスリリースの要点をまとめてさばいているだけ」と辛辣に批評されてもいる。
それを脱するには、発表主体に距離を置き、報道の主導権を自分が担えばいい。状況に身を任せず、自分が「企画力」を身につければいいだけのことだ。自身の問題意識や発見したストーリー、あるいは切り口を起点にする・・

同感です。さらに、この業界では、「抜いた」「抜かれた」という競争があります。ほとんどは、当局者の発表を、どの社が先に書くかです。翌日や数日後に公表されるので、それを待てばよい話です。例えば幹部人事とか。1日早く知っても、1日遅れても、社会には何の影響もありません。
しかも、ある社が先に書いた案件は、後追いをする他社の記事(追っかけ)では、小さな扱いになります。その際に、記者が当局者に求めるのは、「何か、付け加えることはありませんか」です。すると、その部分が大きく書かれます。
非公開情報を「抜く」ことは、これとは異なります。それについては「情報をすっぱ抜く」(2012年5月26日)に書いたことがあります。当局者がいずれ発表する内容を早く書くのか、当局者が知られたくない内容を記事にするのかでは、大違いです。そして前者にあっては、当局者のコントロールの下に(リークしてもらって)公表より早く書く場合と、別のところから資料を入手して公表より早く書く場合があります。

覇権国家イギリスを作った仕組み、11。本当に飢えた人は暴動を起こす元気もない

近藤和彦著『民のモラル―ホーガースと18世紀イギリス』、18世紀イギリスでしばしば起きた食糧一揆が、民衆による「法の代執行」である点を解説するくだり(p163~)から。
・・食糧一揆といえば、飢え、自暴自棄になった群衆が業者や倉庫を襲う「暴動」という紋切り型のイメージがあるが、しかし、18世紀の食糧一揆は餓死しそうな貧窮から生じたのではない。そもそも本当の飢餓状態にあれば、わたしたちもニュース映像で見ているとおり、病み、放心して横になるか、せいぜい祈るしかないだろう。私たちの注目している一揆勢は元気で、憤り、自ら集団的に行動する「正当性の拠りどころ」をもっていたように見える。一面で統治権力のありかた、地主・商工業者などの姿勢、あるいは世論のありかたも重要であるが、同時に民衆のおかれた生活条件や一揆の規律、〈制裁の儀礼〉としての性格に注目する必要もある・・