個人でも組織でも国家でも、いさかいは避けられません。競合や交渉、さらには喧嘩が起きます。喧嘩が昂じると、無視、悪口、そして戦いにまで発展します。
しかしその場合に、指揮官たる者は、収め方を考えておく必要があります。相手にどんな譲歩を求めるのか、戦いまで持ち込む覚悟があるのか。
しばしば、組織内や国内向けに、威勢のよいことを言いたがる人がいます。戦前の日本にもいました。マスコミも軍部もそうでした。でも、戦争に負けたときに、その人たちは責任をとりませんでした。本当に強くまた大人なら、相手を一方的に貶めるような発言はしません。よく言われますが、日露戦争の時は、最初から収め方を考えていました。
主戦論は、見かけは威勢がよいです。そして、国内基盤が弱い場合に、威勢が良い人が出てきます。しかし、国内向けと国外向けを、間違ってはいけません。威勢の良い主戦論はしばしば感情論であり、合理的な裏付けがありません。応援団やサポーターもそうです。戦っている本人たちは、感情や空理空論では勝てないのがわかっているので、理性的に考えます。しかし、どの国でも応援団はお気楽に、「我が民族は優秀だ」といった感情に訴えます。
戦いまでもつれ込んだ場合、一方が他方に降伏すると、けんかは終わります。しかし、長い目で見たときに、それでは終わりません。一見さんとの喧嘩ならそれっきりですが、将来にわたって付き合わなければならない場合は、尾を引くのです。ご近所だとか、同業他社だとか。国内でも国際的にも。負けた方が忘れればよいのですが、忘れません。たぶん、永久に。この項続く。