ジャーナリズムの現状を憂える、2

大鹿靖明編著『ジャーナリズムの現場から』の続きです。「あとがき」から(p335~)
・・新聞や放送のかなり多くのニュースは当局発表に依存している。朝日、毎日、読売の3大紙の朝刊に占める発表モノの記事の面積比率は49~55%を占め、発表モノに少し独自の味付けをした記事を入れると60%にもなる。解説記事などを含めて発表モノに端を発してつくられた記事まで含めると、紙面の面積における発表依存度はなんと80%に達する。
しかも新聞記者が特ダネと称する記事の少なからずは、実は当局者(官公庁、捜査機関、大企業)のリークか、少なくとも当局者の意図に沿う報道にすぎない。発表の直前に掲載されることの多いリーク型の特ダネ記事は、読者や視聴者の視点に立てば、発表モノと何ら変わらない。こうした記者クラブ型とも呼べる報道は、常に当局者に依存し、発表主体である当局の動きに受動的になりがちだ。クォリティーペーパーといわれることがある日経新聞だが、海外メディアからは「大きな『企業広報掲示板』」「大量のプレスリリースの要点をまとめてさばいているだけ」と辛辣に批評されてもいる。
それを脱するには、発表主体に距離を置き、報道の主導権を自分が担えばいい。状況に身を任せず、自分が「企画力」を身につければいいだけのことだ。自身の問題意識や発見したストーリー、あるいは切り口を起点にする・・

同感です。さらに、この業界では、「抜いた」「抜かれた」という競争があります。ほとんどは、当局者の発表を、どの社が先に書くかです。翌日や数日後に公表されるので、それを待てばよい話です。例えば幹部人事とか。1日早く知っても、1日遅れても、社会には何の影響もありません。
しかも、ある社が先に書いた案件は、後追いをする他社の記事(追っかけ)では、小さな扱いになります。その際に、記者が当局者に求めるのは、「何か、付け加えることはありませんか」です。すると、その部分が大きく書かれます。
非公開情報を「抜く」ことは、これとは異なります。それについては「情報をすっぱ抜く」(2012年5月26日)に書いたことがあります。当局者がいずれ発表する内容を早く書くのか、当局者が知られたくない内容を記事にするのかでは、大違いです。そして前者にあっては、当局者のコントロールの下に(リークしてもらって)公表より早く書く場合と、別のところから資料を入手して公表より早く書く場合があります。