災害公営住宅でコミュニティを作る

仙台市の災害公営住宅で、町内会が設立されました。NHKニュースが伝えています。この住宅では、地元や石巻などさまざまな地域から、166もの世帯が入居しました。顔見知りでない人も多く、住民のつながりや協力をどのように作るかが、課題です。
暮らしの復興のためには、住宅を造ったら終わり、ではないのです。とはいえ、住宅はお金があれば(建設業者がいれば)建ちますが、コミュニティはお金で作ることはできません。国には、「コミュニティ建設指導課」といった部署もありません。そこが難しいところです。
・・住民同士の交流会を定期的に開いたり、クリスマス会や新年会を行ったりするほか、お年寄り世帯の見守りや除雪などを協力して行っていくことも決めました。
住民は「知らない人が多く不安な思いで入居しましたが、町内会ができたので近所と積極的に交流していきたい」と話していました・・

「委員会勧告を首相は尊重しなければならない」規定の意味の逆転

読売新聞連載「時代の証言者」西尾勝先生、9月27日の「霞が関反発、ルール違反」から。
・・「霞が関のルールを破っている」。地方分権推進委員会が1996年3月に出した中間報告に対して、各省がこう抗議してきました。
委員会としては、連立与党のプロジェクトチームからの要請を受けて中間報告を出したまでです。しかし、霞が関の各省の常識では、政府の審議会が文書を出す時には、関係各省に事前に説明し、各省の意見を聞いて手直しするのがルールだというのです・・
(村山内閣から橋本内閣に代わっています)・・その橋本首相は、国会答弁などで「地方分権推進委員会には現実的で実行可能な勧告を期待する」と何度も発言していました。
この発言はどういう意味か。私は考えました。
地方分権推進法には、委員会の勧告を首相は尊重しなければならないという異例の規定があるけれど、首相の本意は「閣議決定できるような勧告を持ってきてくれ」「各省が合意して事務次官会議でも異論が出ない内容でなければ困る」という意味だと思いました。
戦後自民党政治の慣習では、法案の場合の手順は、各省間の折衝と政府与党間の折衝が済んで初めて事務次官会議の議題になり、そこで合意を経た後に閣議にかけて国会に提出する―という流れです・・
・・「首相は勧告を尊重しなければならないのだから大胆な勧告をすべきだ」メディアの記者の多くは、当時、そう言いました。しかし、現実をみるとそうはいきませんでした。
委員会の力を強めると思われていた「首相の勧告尊重義務」の意味が逆転し、委員会を制約する力になってしまいました・・
各省合意、与党合意を経る手続き下で、改革を進めることの困難さが、象徴的に現れています。

政治評論、マスコミの役割

粕谷一希著『粕谷一希随想集2 歴史散策』(2014年7月)p233「馬場恒吾と石橋湛山―政治批評について」は、次のような書き出しで始まります。
・・政治評論の世界は、政治家の世界ほど派手でも強烈でもない。あるいは文芸評論の世界ほど、青春の深部に刻印を残す世界でもない。それは人間が社会人として成熟してゆくとき、散文的な日常と共に、次第に眼を開かれてくる切実な世界なのである。したがって、その世界に生涯を捧げた本編の馬場恒吾とか石橋湛山といった名前にはあまり色気や魅力をもった響きはないかもしれない。けれども今その日本の状況を省みるとき、私にはある切実な渇望と共にその存在が甦ってくる。
―現代の日本には、こうした政治評論の原型が見失われてしまったのではないか。政治の混迷もはなはだしいが、それにもまして、そうした政治を批評し切る存在とか視点が、欠けてくることで、日本全体が盲飛行の状態に陥ってきてはいないか・・
これは1979年に発表された文章です。
日本の政治やについて、水準が低いとか、遅れているといった批判は、毎日のように聞かれます。しかし、批判をしているだけでは、改善はされません。
その批判の多くは、欧米(の一部)を基準にしたものであったり、単なる理想像からのものです。世の中、そんな簡単にできていないので、ある改革を実現しようとしたら、その道筋を考えなければなりません。改革には反対派が必ずいます。国民の支持をどう取り付けるか、党内の合意をどう付けるか、財源はどうするのかなどなど。「減税はします、福祉も充実します」ことが両立しないことは、高校生でもわかることです。
「国民の水準以上の政治家は生まれない」「国民の水準に合った政治しか成り立たない」という警句があります。
日本の政治や政治家を批判し、よりよいものを望むなら、現実の政治や、政党、政治家をけなしているだけではだめです。政策にあっては、代案を出したり、その実現への道筋を提案しなければなりません。政党や政治家については、どこが悪くて、どこが良いのかを指摘すべきでしょう。そして、育てなければなりません。
「マスコミの役割は権力を監視すること」「政府と対峙することだ」という主張があります。それは理解できますが、あれもダメ、これもダメと批判ばかりしていては、政治家も政党も成長しません。政策も実現しません。批判をするだけなら、楽なものですわ。
ここには、もう1つの要素があります。毎日の政治の動きや政治家の動きを追いかけていても、政治評論は成り立ちません。中長期的な視野から、政策と政党や政治家を追いかける必要があります。政策も政治家も取っ替え引っ替えしているようでは、アイドルと同じで使い捨てになります。
それは、マスコミの政治部記者の勤務実態とも関係しています。記者たちは、1年か2年で異動を繰り返します。ある政策を長く追いかけることは、あまりないようです。また、少し離れた位置から、日本政治を考えることも少ないようです。
政治評論の役割は、御厨貴著『馬場恒吾の面目』を紹介する際に言及したことがあります(2014年1月22日)。この本を読んだ時に思うところがありましたが、放っておいたら、粕谷さんの随想集第3巻が出版されました。

復興、新しい手法による取り組み。民間の力を生かす

地域復興マッチング「結いの場」の、平成25年度成果を発表しました。「結いの場」は、被災地の企業と大手企業とを結びつけ、新商品開発や販路開拓などのお手伝いをしてもらう試みです。今回は、49の連携事業が成立しました。たとえば、中小企業が持っている金属加工技術を生かして、精巧な建築物の模型を作った例(福島市、永沢工機と積水ハウス)、ブランドイメージ向上のために、学生のアイデアを活用して、イクラの贈答用パッケージを作った例(宮古市、大井漁業部と瀧澤学館とNTTドコモ)。
また、「新しい東北」官民連携協議会のホームページを、刷新しました。被災地では、行政だけでなく企業、大学、NPO等いろいろな主体が、復興支援に取り組んでいます。また、行政だけで復興ができるものでもありません。この官民連携協議会は、これらの担い手が情報を共有し、連携できるためにつくった交流の場です。支援情報のデーターベースもあります。例えば人的支援だと、人材派遣や職員研修など。経営支援だと、技術開発や商品開発、事業化支援、販路開拓などです。
先日説明した、新しい産業支援の手法の実践例です(9月21日の記事)。お金ではなく、人やノウハウの支援です。