三会堂ビルの周辺、大規模再開発

復興庁が入っている民間ビルの周囲で、大きな市街地再開発が進んでいます。「赤坂一丁目地区第一種市街再開発事業」です。大小何十ものビルを壊し、細い道路も取り込んで(つぶして)、大きな高層ビルと広い緑地空間を作るのだそうです。施工区域が2,5ヘクタールもあります。復興庁の入っているビルも、その区画の一画にあるのですが、なぜかこの再開発に参加していません。計画の地図で見てもらうと、施工区域の東北角に白い5角形があります。これが私たちのビルです。
ビルの取り壊し工事が進んで、日に日に空が広くなっています。復興庁の南隣のビルも、半分ほど解体されました。すると視界が開け、7階と6階の南側の窓からは、その南にあるアメリカ大使館が間近に見えるようになりました。私の執務室も6階にあるのですが、私の部屋は北向きなので、残念ながら窓からその景色は見えません。

伊勢神宮、色がついている

先月、キョーコさんのお供をして、伊勢神宮に行きました。昨年、遷宮があって、まだまだ参拝客で賑わっています。私は何度も行っているのですが、今回勉強になったことがあります。外宮入り口に「せんぐう館」という展示施設ができています。わかりやすい展示です。というか、神宮の中には解説の立て札もなければ、そもそも社殿に近づけません。格式高い神社ですからね。外宮の正殿の原寸の模型(東側4分の1分)があり、私たちが近づくことのできない正殿の造りがわかります。そして、係員による、詳しい説明があるのです。正殿は神様が暮らしておられるので、屋根には上ってはいけないのだそうです。そして、20年間補修せずにおくと、茅が朽ちるので、立て替えます。というか、20年間持つだけの分厚さがあります。屋根以外は、掃除はするのだそうです。
さて驚きは、欄干の擬宝珠に色がついているのです。この写真で、少しわかりますかね。銅板の上に特殊な技術で色を付けるのだそうです。五色です。神宮では古来の伝統を守っている、日本の神道は質素であると信じていた私には、衝撃でした。奈良時代に、このような飾りを付けたようです。当時としては最先端の技術で、神様を喜ばせたのだそうです。伊勢出身の某人にこの話をしたら、彼は子どもの時に、お白石持に参加して、正殿を間近に見たそうです。

被災地に人材を送る。スターティングオーバー三陸

藤沢烈さんが、ブログで、「スターティングオーバー三陸」を紹介しています。求人紹介会社のリクルートが、三陸で働く人向けの求人サイトを立ち上げました。
三陸での仕事の紹介です。ホームページを読んでいただくと、単なる求人や支援でなく、ここで働くことがどのような意義を持つのかが説明してあります。藤沢さんのほか、編み物事業を興した女性、横浜からパン屋さんに行った男性などの発言が紹介されています。
釜石市役所の石井重成さんの発言から。
・・行政、市民、NPO。それぞれにやりたいことがあるのですが、なかなか進まない。お互いの状況や背景を理解して連携していくための、コミュニケーションの隙間を埋める調整役が必要だと考えました。そこで、総務省の復興支援員制度を活用した、釜石リージョナルコーディネーター(釜援隊)を全国から募集し、立ち上げたのです・・
・・釜石市では企業1社だけでは解決できないような大きい社会課題に取り組むことになる。元に戻すという復旧・復興事業だけではなく、少子高齢化の問題や、人の人生そのものに関わることの難しさ。そうった解のない問題に向き合い続けることで、人間としても大きく成長することができる。私もこちらに来てから、コンサルタント時代の倍以上、頭と身体を使っている気がします・・
被災地、そして日本の地方、特に僻地であり中山間地域では、具体の課題が目の前にあります。そこで働くと、東京や日本全体を相手に仕事をするのと違い、自分の仕事が「見える」のです。これは、復興庁で働いている公務員や、地元に支援に入っている公務員にも共通します。
他方で、域外から入って働く職員は、地元の自治体や企業、地域社会に、新しい刺激を持ち込んでくれます。もちろん、課題は簡単に片付くものではなく、「よそ者」が働くことの難しさもあります。しかし、それが社会に貢献しながら働くことの意義です。楽をして得られることは少ないです。
9月に東京で説明会があります。(税金を使った)行政による支援でなく、このように民間の事業として(無償支援でなく)行われることは、ありがたいです。うまく行くと、長続きします。
行政も、被災市町村にたくさんの人を応援に送っていますが、これは公的な復興に関してです。税金でまかなっているので、送る範囲や仕事の内容には限りがあります。そして、あくまで復興です。地域が自律的発展をするためには、産業復興が必要です。
なお、スターティング・オーバーとは、「再出発」「新しい旅立ち」という意味のようです。

牛乳を使った和食

「乳和食(ニュー・ワショク)」って、ご存じですか。簡単に言うと、牛乳を使った和食です。このページをご覧ください。ポイントは、「減塩だけど美味しい、カルシウムもしっかり摂取」だそうです。詳しく知りたい方には、こんな本もあります。森重樹 ・農水省牛乳乳製品課長から、「宣伝せよ」との指示です。森課長は、今年の春まで復興庁で苦労した仲間です
なお、我がふるさと飛鳥には、牛乳を使った「飛鳥鍋」があります。すみません、私は食べたことがありません。

被災者支援のNPO、2

2つめは、「震災復興における支援アプローチ調査」です。
被災して、なくなった町を復興するには、道路をつくり家を建てただけでは、町の暮らしは復興しません。住民達が自らどのような町を作るか考え合意する必要があります。国や県が街並みを作って「はい、できました。入居してください」と言えば簡単でしょうが、それでは住民は満足しません。施設に入ってもらうのではないのです。
そこには、住民による合意形成の過程と、できあがった町の運営があります。自分たちの町か、あてがいぶちの施設かの違いです。町はできあがった建物(写真に写るモノ)ではなく、暮らしている住民が作り続けるプロセス(住民の活動)です。
・・復興とは、被災した人々が失った力を取り戻し、自らの手で新しい日常をつくりなおしていくプロセスである。支援者は支援者でしかなく、復興は住民自身の手によって成し遂げられる必要がある。本調査ではこうした前提に立ち、震災から3年目を迎えいよいよ本格化する東日本大震災の被災地において、復興への支援アプローチがいかにあるべきかという観点から行ったもので、住民の合意形成組織を対象に実施した。
「復興まちづくり」という概念は、ともすればハードの設計と建設、あるいはスピードとボリュームだけが注目される「まちの再建」に、議論と合意形成による住民参加のプロセスをより色濃く意味づけたものである・・(p3)
阪神・淡路大震災時の経験を活かした、調査です。
調査対象の6か所ごとに、住民組織の範囲やありようも違います。また、これらに特徴的なのが、NPOや大学などの団体や復興支援員が、支援に入っていることです。住民の意思が必要ですが、それだけを待っていては、うまくいきません。市町村がどのような支援をするか、支援団体や支援員がどのような支援をするか。よい事例を積み上げ、その他の地域に展開することが重要です。
これらの調査結果と報告された課題を、どのように解決していくか。国が法律を作ったり通達を出せば解決する問題ではありません。地元自治体や町内会にこの問題を認識してもらい、NPOの力も借りて解決していきます。
ダイバーシティ研究所、3県の連携復興センター、そして支援してくださった日本財団に、お礼を申し上げます。