外国人向け免税店

今日の放課後は、同業他社との意見交換会(う~ん、名目は違え、毎晩良く続くなあ・・)。会場に早く着きすぎた(N君の手配で、開始時間が遅かった)ので、近くを散歩。最近、銀座に行くことはないので。
銀座ライオン本店の隣に、主に中国からの観光客を相手にした免税店があり、視察しました。通りに、何台もの大型バスが並んで、免税店へ客を誘導し、また帰りを待っています。店頭の混雑と熱気は、たぶん30年前のパリやロンドンの、日本人観光客向け免税店(三越とかありましたよね)と同じでしょう。店員さんも、アジア系の人でした。
品揃えは、フロアガイドのとおり。入ったところに、シチズンとセイコーの時計があるのは、うれしいです。他は、ヨーロッパの時計ばかりです。しかも、1個で百万円を超えます。2階は、化粧品と日本の民芸品。観光地での土産物には、いつもがっかりします。芸者さんらしい女性を描いた扇子か湯飲み。う~ん、もう少しましなものはありませんかね。鉄瓶がたくさん並んでいたのは、意外でした。赤ちゃん用ミルクは、新聞報道で知っていたので納得。でも、これをたくさん抱えて帰るのかなあ。3階は電気製品。売れ筋は、相変わらず炊飯器です。他にひげそりとか。
これでは、あまり日本にお金は落ちませんねえ。かさばらずに、見た目が良くて、本人が喜ぶちょっと高価なものか、もらった人が喜ぶ土産、そして日本製が必要です。あなたなら、海外の友人に、何を持っていきますか。

覇権国家イギリスを作った仕組み、9

近藤和彦著『イギリス史10講』の最終回です。
8 碩学の成果を、こんな簡単に読める。
300ページの新書版に詰め込むには、大きすぎる内容です。近藤先生は、記述の際に、原典となった文献名や研究者の名前を載せることで、先達に敬意を表するとともに、読者にさらなる勉強のとっかかりを示してくださっています。さらに勉強したい人は、そこに出ている研究者(日本人も多いです)を、検索して、元の論文を探すのでしょうね。
また文章の中で、関連する他のページが( )書きされています。これは便利です。随所に、先生の工夫が見られます。
これだけの内容が、900円+消費税で読めるのです。お薦めです。
引き続き、先生の『民のモラル―ホーガースと18世紀イギリス』(2014年、ちくま学芸文庫)、『文明の表象 英国』(1998年、山川出版社)を、読みました。それらも、興味深かったです。その感想は、別途書きます。何しろ、この『イギリス史10講』を読んでから、思うことをこのホームページに書き始めて、1か月以上が経ちました。

オーラルヒストリーの対象に

今日は放課後に、ある研究会に出席しました。オーラルヒストリー(聞き書き)で、私が大震災について行ったことを、研究者の質問に答えるのです。聞き書きの対象となるほど、えらくなったわけではないのですが。もう半年以上続いていて、今日が最終回。
大震災から3年半、まあ良く忘れていますね。事前に質問票をもらって、考えてから出席するのですが、忘れていることばかりです。質問者は、時に私のこのホームページの記述を読んで、「ここに、こう書いてありますが・・」と質問されます。ところが、書いた本人が忘れているのです。毎日忙しく、かつどんどんと状況と課題が変化したので、覚えきれないという面もあります(言い訳です)。
資料は、復興庁のホームページに最大限残してあります。これは、研究者の方も、自由に利用できます。昔に比べ、はるかに利用しやすくなっていると思います。ただし、いきさつまでは、文字になっていません。
聞き書きの対象となって、次のようなことを考えました。
・研究者から聞かれることで、自分の体験を客観的に思い出すことができます。「そんな見方もあるのだなあ・・」と。これは、私にとっても、収穫でした。
・しかし、本人の語りは、注意しないと、危ないです。まず、記憶はすぐに忘れます。そして、自分の都合の悪いことは言わないでしょう。私は、精一杯、そのようなこともお話ししたつもりですが。もっとひどい場合は、自分の都合の良いように「記憶を作る」ことがあります。
・当事者である対象者も、その事件の全てを知っているわけではありません。この人の知らない部分を補強しないと、独善的になります。しかも、第三者がそれを活字にすると、「客観的」と誤解されます。
・よって、聞き書きの場合、対象者の語りの他に、編集者による「解説」が重要になります。

茶の湯、藪内。2

今日は、NHK教育TV趣味DO楽、「茶の湯 藪内家“織部も親しんだ茶の魅力”」の第3回目。同業者意見交換会を早々と切り上げて、21時25分にはテレビの前に座りました。先週放送(今朝再放送)の第2回目を見ても、20年前に習ったことは、ほぼ忘れていますね。反省。
でも、いつか、再度挑戦する機会があるでしょう。フルートとともに。決意表明。その前に、原稿を書かないと。すみません、編集長と待っていただいている読者の方に。
ところで、このような趣味の世界を見る度に、あるいは昔の文化人や官吏の書を見る度に、私は(私を含めて現代の官吏は)、「忙しい、忙しい」と言って、何をしているのか疑問になります。そして、忙しい結果として、何を残しているのでしょうか。
放送は、次回8月25日で終わりです。関心ある方は、ぜひご覧ください。

覇権国家イギリスを作った仕組み、8

覇権国家イギリスを作った仕組み、7」から続く。

7 社会の問題を解決する主体は誰か
私のこのホームページでは、この本の解説(今書いている記事)を、「政治の役割」に分類しました。「社会の見方」や「社会と政治」にも分類できるのですが。
どのような国(社会)を作るのか。それが、政治の役割だと考えているので、このような分類にしました。もちろん、政治の前に「社会」があります。しかし、その社会が絶えず生み出す問題を、「誰がどのように、そしてどの方向に解決するか」。それが、その「国のかたち」を決めます。
同じ近代民主主義国、資本主義自由経済国家であっても、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、そして日本は、よってきた歴史と社会が異なり、「国のかたち」が違います。同じような代表制民主主義や三権分立という政治制度を持っていても、誰が主体となって社会問題を解決するかが、違うのです。
家族と親族、企業、地域社会、中間団体、宗教、(ここで引用した)チャリティやNPO、そして地方議会、国会、行政と。国によって、解決する主体、あるいは解決を期待される主体が異なります。
イギリスでは、議会がまずは主体になるようです。それに比べ、日本では、内閣(行政)が解決主体として期待されているようです。議会が解決方向を示すというよりは、議会が内閣を追求する、そして内閣が出した法律について付帯決議を付けるという過程が、それを表しているようです。問題が起きると、国会の不作為よりは、各省の不作為や失敗が追求されます。マスコミ報道も同じです。批判が行政に向かうのは、国民が(国会や地方議会ではなく)行政が解決することが当然だと思っているからでしょう。
明治維新と戦後改革で、日本は欧米流の国家統治の仕組みを輸入しました。しかし、仕組みを輸入することと、運用の実態とは別のようです。国会審議の実態が国によって違うことを、このページでも取り上げています。
この点については「この国のかたち」で、別途考えたいと思っています。例えば、2001年の中央省庁改革の基本を決めた「行政改革会議最終報告(平成9年12月)」に、次のような「この国のかたち」が述べられています。
・・われわれの取り組むべき行政改革は、もはや局部的改革にとどまり得ず、日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へと転換することに結び付くものでなければならない・・(はじめに
・・今回の行政改革は、「行政」の改革であると同時に、国民が、明治憲法体制下にあって統治の客体という立場に慣れ、戦後も行政に依存しがちであった「この国の在り方」自体の改革であり、それは取りも直さず、この国を形作っている「われわれ国民」自身の在り方にかかわるものである。われわれ日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、「この国のかたち」を再構築することこそ、今回の行政改革の目標である・・(第Ⅰ章 行政改革の理念と目標
これは、行政についてですが、引用した文章にもあるように、国民の意識と行動でもあります。それは、家族、社会、国会、政府の役割分担でもあるのです。
この項続く