今日は放課後に、ある研究会に出席しました。オーラルヒストリー(聞き書き)で、私が大震災について行ったことを、研究者の質問に答えるのです。聞き書きの対象となるほど、えらくなったわけではないのですが。もう半年以上続いていて、今日が最終回。
大震災から3年半、まあ良く忘れていますね。事前に質問票をもらって、考えてから出席するのですが、忘れていることばかりです。質問者は、時に私のこのホームページの記述を読んで、「ここに、こう書いてありますが・・」と質問されます。ところが、書いた本人が忘れているのです。毎日忙しく、かつどんどんと状況と課題が変化したので、覚えきれないという面もあります(言い訳です)。
資料は、復興庁のホームページに最大限残してあります。これは、研究者の方も、自由に利用できます。昔に比べ、はるかに利用しやすくなっていると思います。ただし、いきさつまでは、文字になっていません。
聞き書きの対象となって、次のようなことを考えました。
・研究者から聞かれることで、自分の体験を客観的に思い出すことができます。「そんな見方もあるのだなあ・・」と。これは、私にとっても、収穫でした。
・しかし、本人の語りは、注意しないと、危ないです。まず、記憶はすぐに忘れます。そして、自分の都合の悪いことは言わないでしょう。私は、精一杯、そのようなこともお話ししたつもりですが。もっとひどい場合は、自分の都合の良いように「記憶を作る」ことがあります。
・当事者である対象者も、その事件の全てを知っているわけではありません。この人の知らない部分を補強しないと、独善的になります。しかも、第三者がそれを活字にすると、「客観的」と誤解されます。
・よって、聞き書きの場合、対象者の語りの他に、編集者による「解説」が重要になります。