「覇権国家イギリスを作った仕組み、5」から。
・・近代イギリスはチャリティの時代といってよい。だが、この語がくせ者である。ジョンソンの英語辞典の伝統を継承しつつ、英語の歴史的用法を悉皆調査した『新英語辞典』(NED、オクスフォード英語辞典OEDの前身)でcharityを担当した編者は、1889年に当惑を隠さずこう記している。
チャリティという語は、1601年のチャリティ用益法やその後の近代のチャリティ信託諸法の定めにより、まことに広く適用されてきた。今や自ら助くることあたわざる者を支援する、あらゆる目的の団体組織のことをいう。この語の使いかたと限界はまことに恣意的で、思いつきもしくは時の必要によって全面的に変わる。
なにしろ、1601年の法律の「精神と真意」は、19世紀どころか今日まで生きていて、4つの公益、すなわち貧困救済、教育、宗教、そして「コミュニティの益となる目的」のために設立運用される基金・団体は、すべてチャリティなのである。救貧院も子どもの遊ぶ施設もエリート学寮も、内外のミッションも軍人会も、図書館も博物館も動物園も、病院も海難救援団体も自然環境団体も学会も、何か公益をうたうNGO・NPOであれば、チャリティである。慈愛よりも「信託法」による任意活動であることが要件である。チャリティの信託委員/理事の任務は、(慈愛があってもなくても)公益の推進のために基金を運用することであり、ほとんど「信用組合」のように貸付けることが期待されていた。
チャリティは国家を浸食し、干渉したと金澤周作はいう。部分的に代行したといってもよい。民間公共社会が強靱で、また国債償還のため財政赤字が逼迫して「小さな政府」をとなえるほかない自由主義時代のイギリスに、エリザベス期の法的遺産が全面開花した。民間の公益団体と小さな政府はたがいに補いあい、イギリス型近代の表裏をなしたのである。革命によって社団を否定した中央集権のフランス、あらゆる場面に行政(ポリツァイ)が顔を出すドイツとは異なるイギリスのチャリティは、イスラム社会の「ワクフ(waqf)」とどこか似ている・・(p219)
この項続く。