肝冷斎が、毎日、漢文日録を書き続けています。その博覧強記には、驚きます。「よくまあ、有名でない中国古典を、たくさん読んでいるなあ」と。奇想天外な話が多くて、私にはついていけないことが多いのですが。たまには、役に立つことも書いてあります。7月19日は、五代・譚峭「斉丘子」より「神弓鬼矢」でした。本論の前に書かれていた部分が、納得できました。
「誉人者人誉之、謗人者人謗之」
読み:人を誉むる者は人これを誉め、人を謗る者は人これを謗る。
意味:他人を誉める者は他人もそのひとを誉め、他人を謗る者は他人もそのひとを謗るものである。
「君子能罪己。斯罪人也。不報怨。斯報怨也」
読み:君子はよく己を罪す。すなわち人を罪すなり。怨みを報ぜず。すなわち怨みを報ずるなり。
意味:立派な賢者は、「自分にこそ責任がある」ときちんと認識することができる。これはすなわち、逆に他人に(もしかしたら自分に責任があったかも・・・)と考えさせることになり、そのひとに責任を問うのと同じことなのである。
怨みがあってもこれに復讐することはない。これはすなわち、相手に(自分は復讐されてしかるべきなのに復讐されないのは、自分で反省しろということなのか・・・)と考えさせることになり、そのひとに復讐したのと同じことになるのである。
これほどまでの聖人君主、あるいは大人(たいじん)の態度は、なかなかとれません。飲み屋で、上司の悪口を言うことのブーメラン効果については、『明るい係長講座』(中級編p5)に書きました。
部下を動かすには、北風さんと太陽さんの、どちらがよいか。イソップ童話と同じで、私は太陽政策を採ります。誉めることの効用は、『明るい係長講座』(初級編p15)で、私の経験談を元に強調しました。わかりやすい挿絵付きです。
もっとも、北風さんと太陽さんの話には異説(前段)があって、旅人の帽子を取る競争では、太陽が負けます。これだと、目的に対して手段を間違うな、という格言になります。
すると、もっとわかりやすい言い方は、「豚もおだてりゃ木に登る」(豚を叱っても、木には登らない)です。でも、これだと下品で、研修会などでは使えませんね。「私は豚か」と、部下から反発を受けます。