防衛省の防衛研究所が、『東アジア戦略概観 2014』を公表しています。この分野は私の専門ではないので、内容については、本文を読んで頂くとして、今回紹介するのは、「知的基盤」と「戦略文書の機能」についてです。
まず、知的基盤について、国家安全保障会議の設置を評価した上で、次のように述べています(p43)。
・・国家安全保障会議および国家安全保障局はあくまで、日本の安全保障政策を質的に「進化」させていく上での前提となる組織であり、それによって日本の安全保障政策における戦略性が自動的に高まっていくわけではない・・
・・現在進められている安全保障政策における改革が実現した後で必要になるのは、これまでのように「進化」の「入口」としての組織や法制の在り方を議論することではなく、日本の安全保障と地域の安定を達成する上で必要な政策課題そのものを深く議論し、使用可能な政策手段を組み合わせていくことである。そのためにこそ、国家安全保障戦略、2013 年防衛大綱および2013 年中期防のいずれにおいても強調されている知的基盤の充実が重要となる。しかしながら、日本の知的基盤を支えるシンクタンクや人材の層は、英米豪に比べて脆弱である。まさにこの分野における努力こそが、今後の日本の安全保障政策において、これまでよりもはるかに重要な意味を持つことになろう・・
私は、ここで述べられている知的基盤を、「政策共同体」と呼んでいます(例えば、2005年9月11日)。その政策分野の専門家、すなわち官僚、学者、研究者、マスコミが意見を交換し、ある程度の共通認識を持つ「場」です。簡単な指標は、専門誌と学界があり、マスコミに解説が書ける記者と研究者がいることでしょうか(政策専門誌について例えば、2010年4月12日)。大学に講座があり、シンクタンクがあれば、より安定的、本格的です。
地方行財政にはあるのですが、霞ヶ関の各分野には、必ずしもそろっていないようです。現場と研究者、そしてそれを広報・解説する者がいなければ、政策は現実性を失い、他方で先見性を失います。現場と研究者の交流と、国民への周知が必要なのです。
少し話題は広がりますが、イギリスBBCがいくつもの言語でニュースを流しています。では、日本でそれができるか。そのためには、それを支える、現地の事情や言語に通じた関係者が必要です。そしてその人たちが「食べていける」だけの、条件が必要なのです(2006年欧州随行記3)。