住宅建設の見通し

住まいの復興工程表」を平成26年3月末現在の数字に更新しました。防災集団移転促進事業等で供給される民間住宅等用宅地及び災害公営住宅の整備の工程表(見通し)です。被災者の方に、住宅再建の見通しを持ってもらえるように、市町村内の地区ごとに進捗状況と見込みを示しています。
前回公表数値に比べ、大きな変化はありませんが、住民の意向調査によって、少し戸数が減っています。

コミュニティ支援

福島県双葉町の復興支援員チームを紹介します。被災地の復興支援、それも難しいコミュニティ支援です。現地で、試行錯誤が続いています。現地で何をしているか、原文を読んでいただくとして、一部を引用します。
・・福島県双葉町の町民の方々の自活サポートをしていて、双葉町役場と協働して、自治会活動、情報伝播、町民グループ立上げ、避難地域各地での交流イベントのお手伝い、広報サポート、外部連携等を実施しています・・
・・ポイントは、町民の方々のモチベーションを上げることだと思っています・・
これは、被災地だけでなく、日本の各地での課題です。藤沢烈さんに教えてもらいました。

被災地の航空写真

復興庁のホームページに、主な津波被災地(計35地点)の復旧状況を航空写真で、載せました。うち8地点については、発災直後と比較することができます。
これは、アジア航測株式会社から、提供を受けたものです。このほかにも、CSRとしていろいろな航空写真(例えば発災直後)を提供しています。ありがとうございます。

日曜日

今日の東京は、初夏の天気。さわやかですが、暑いくらいでした。昨日は働いたので、今日は休日に。
東京国立博物館のキトラ古墳壁画展に行かなければと思っていたのですが、先日、ホームページで調べたら、とんでもない待ち行列です。140分待ちとか。今朝も、それを確認して、断念。先週、実家に帰った際に、古墳そのものを見てきたので、それで良しとしましょう。
キョーコさんと一緒に、まずは、残っていた合い冬物と夏物を総入れ替え。続いて、押し入れの整理。要らないものが、たまりますね。決心して捨てないと。

日本人の海外雄飛と引揚げ。その記憶と継承

東京大学出版会PR誌『UP』5月号、加藤陽子先生の「敗者の帰還と満洲体験」から。
・・タイトルの「敗者の帰還」とは、太平洋戦争終結時に海外にいた軍人約367万人、民間人約321万人、合計約688万人(数値は終戦連絡中央事務局政治部「執務報告 昭和21年4月15日」による)が、日本本土へと復員・引揚げをおこなった事態を指している・・
・・山本有造編著『満州―記憶と歴史』(京都大学学術出版会、2007年)によれば、終戦時の人口の実に約8.7%にものぼる人々が引揚げを体験した。ならば国民の引揚げ体験は、日本の戦後思想に大きな影響を与えたといえよう・・
・・(加藤聖文氏の論考)いわく、日本の近代とは、日本の歴史始まって以来の人口移動が見られた時代であった。日本人は、台湾・朝鮮・満洲といった植民地や傀儡国家の他、日本占領下にあった中国大陸沿岸部の諸都市に渡って行き、大量の開拓移民としても海を越えた。しかし、「外地」へと雄飛した約330万人のこれら日本人は、1945年8月の敗戦を機に、引揚げ者として「内地」に帰還し、その後は帝国日本を形成していたはずの「外地」について、その記憶を急速に忘却してしまったのではないか。
常に受動態で語られ、自らの外部には目を向けようとしない日本人の引揚げの歴史を相対化すること。このような問題意識は、加藤氏の専論『「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年』(中公新書、2009年)に、より明確に表れている。人や組織の持つ本質はその最期に現れる、と加藤氏は喝破した。国民国家・日本の生き残りを賭けた戦後処理の過程で日本人は、それまでの帝国・日本に包摂されていた諸民族の「その後」を忘却したのではないか・・
このことに関して、私たちは無関心でした。それに関連して、戦後の混乱のなかで、引揚げ者や戦災で焼け出された人、戦災孤児たちに、政府(行政)は何をして何をしなかったか。勉強したいと思っているのですが。
また、戦前・戦中の日本のエリートたちは、海外特にアジアを、ふだんから視野に入れていたと思います。もちろんそれは、今から考えると、ゆがんだ形だったのでしょうが。その頃の会話や議論を見てみたいです。そして、戦後、一挙に内向きになった変化についても。