「クレオパトラのワイン」という話が、5月21日の読売新聞夕刊に載っていました。
クレオパトラが飲んだワインの中の水の分子が、2000年の時を経て地球上に均一に分布したなら、私たちが飲むコップの水の中にも、その(クレオパトラの身体を通った)水の分子が、約10個入っているのだそうです。
インターネットで検索したら、次のようなサイトが見つかりました。「濵口東大教授の解説」。1杯のコップの中に、想像を絶する数の水の分子が、含まれているということです。その類推で言うと、私の身体にもあなたの身体にも、クレオパトラの身体を構成したタンパク質(炭素など)の一部が含まれているのでしょうね。クレオパトラの身体が分解され、地球上に分布したらですが。織田信長の身体の一部も、マンモスの身体の一部も。う~ん。
月別アーカイブ: 2014年5月
出張の後片付け
平日に2日間も出張すると、えらいことになります。急ぎの案件は、携帯メールに連絡が来ます。新幹線中にも、北上山地の山奥でも、電波が届き、仕事が追いかけてきます。それはそれで、やっかいなのですが。そうでない案件が、仕事場のパソコンや机の上に届けられています。
目を通せば捨てることができるもの、「了解」「ありがとう」と返事を打てば良いもののほかに、指示を出したり回答を返す必要があるものがあります。回答を書いている間に、次々と説明に入ってくる職員がいて、なかなか片付きません。簡単なものと急ぎのものを、まずは処理。あとは、週末に片付けましょう。
被災地視察
今日28日は、衆議院復興特委員の宮古市視察に、同行しました。三陸鉄道、田老地区の復興計画、田老観光ホテルの震災遺構としての保存、高台の造成工事などです。
造成工事は、霞が関ビル1棟分=東京ドーム2杯分の土を削って、谷を埋めます。巨大な重機が、山を削り、土を運んでいました。3月にも見たのですが、工事は着実に進んでいます。説明によると、かなり工期を短縮できるとのことです。
新幹線から見える里山と田植えが終わった田んぼは、田舎出身の私にとって、懐かしくほっとする風景です。また北上高地を抜けるバスの窓からは、新緑の緑、ホオノキの白い大きな花など、自然が一杯です。
もっとも、盛岡まで新幹線で2時間、そこから宮古までバスで2時間、そして田老まで電車で30分です。座席に縛り付けられていると、疲れますね。発災直後は、バスの中で揺られながら、おにぎりやコンビニ弁当を食べていました。被災地では食堂が復旧していなかったので、出発地で積み込むのです(何度も同じことを書いています。反省。でも、記憶が強烈なのです)。
毎回のように醤油をこぼすので、学習した後は使わないようになりました。それに比べると、改善されました。今日の昼食は、三陸鉄道の中で、社長の説明を聞きながら、「海女弁当」でした。時間がないので、こんな日程になります。おいしかったです。
岩手県内では、ほとんどのところで、ソフトクリームを売っています。帰りの休憩でこれを食べるのが、当時からの楽しみです。疲れに効きます。議員の先生方にも、推薦しました。
インフラ工事以外の復興支援を、どう認知してもらうか
今日は、石巻市に行ってきました。
まず、NPOのセーブ・ザ・チルドレンの活動を、見せてもらいました。この団体は、世界の子どもたちを支援することを任務としていますが、東日本大震災も対象にしています。石巻市もその一つです。子どもたちと遊んでいる現場を見るのかと思ったら、市内の子育て関係者の会議でした。子ども・子育て支援制度が新しくなり、これまでの保育園や幼稚園だけでなく、NPO等がやっていた子育て支援活動も国費支援の対象となります。それを地元のNPO関係者にも説明する会議です。内閣府からは西田君(去年まで復興庁で私の部下でした)が来て、熱弁をふるっていました。
幼稚園や保育所では漏れ落ちる子育て支援、子どもの相手を、NPOや個人が補ってくれています。これは全国共通ですが、被災地では特にその必要があるのです。しかし、国の制度に乗っていないので、誰がどこで何をしてくれているか、全体像は把握できません。
これまで、市役所の対象(業界)に入っていなかったこれらの団体に、どのように国の支援制度を周知するか。これが難題です。セーブ・ザ・チルドレンが、その役割を担ってくれているのです。資金の支援の前に、情報の支援が重要なのです。また、いずれ市外からの支援団体は、「撤退」します。地元の団体が自立することが、復興ですから。その過程の一つです。
次に、石巻市役所で、応援に入っている職員と意見交換をしました。他の自治体からの派遣職員は、100人を超えているのですが、この方々は今回は勘弁してもらって、そのほかの仕組みで行っている職員たちです。
一つは、企業からの派遣。もう一つは、ワークフォー東北で行っている職員。もう一つは、復興庁が採用して市町村に駐在している職員です。合わせて10人ほどいるのですが、なかなか情報交換する機会がありません。しばしば会う市長や副市長との挨拶はサッサと切り上げて、この職員たちと意見交換をしたのです。激励をかねて、仕事の内容や困っていることなどを聞いてきました。
ほとんどの方が、民間企業経験で来ています。役所の流儀は、とまどいます。「はんこが多い」「挨拶がない」とか。他の自治体経験がある人も、石巻市役所の流儀とは違います。志は高いのですが、それだけでは、市役所の組織内では仕事は進みません。
そのあと、積水ハウスの新採職員研修の現場を、見てきました。積水ハウスは、新採職員研修の場として、被災地でのボランティア活動を組み込んでいます。被災の現場を見て、オリエンテーションを受け、そして仮設住宅の清掃や側溝の泥出しなどの活動をします。
こう書けば簡単なようですが、被災者に迷惑になってはいけない、新採職員でもできる仕事でないといけない。現地での要望とのすりあわせ、宿泊や輸送の準備など、結構な準備も必要です。それを、NPOが仲介しているのです。「なるほどね」と納得し、感心しました。
会社の方から聞きましたが、職員研修に、大きな効果が上がっているとのことです。擦り傷くらいはありますが、事故はないとのこと。いろいろと苦労はあるようですが。
側溝掃除(この場所は、発災以来3年間掃除をしたことがなかったそうです)で、泥だらけになった職員たちを見て、「この後のビールが、おいしいやろうね」と言ったら、「研修ですから、禁酒です」とのこと。失礼しました。
報道では、復興というと、高台移転やかさ上げ工事などが取り上げられます。それに比べ、このような支援活動は、一つひとつが小さい、数字に表せない、写真に撮りにくいので、あまり報道されません。重要な取り組みなのですが。
このような、復旧工事とは違う取り組み、行政ではない支援活動を、どのように世間に知ってもらうか。そして今後の日本社会に根付かせるか。一つひとつは小さな活動ですが、社会を変える大きな流れになるでしょう。そして流れにしたいのです。私としては、長年課題としている「日本の行政の変化」の一つです。
参考、復興庁のNPOとの連携のページ、活動事例。企業による支援活動。
広い視野から大震災を考える
今日は夕方から、「災後の文明」フォーラムを聞きに行ってきました。これは、御厨貴ほか『災後の文明』(2014年、阪急コミュニケーション)の発刊を記念したフォーラムです。執筆に当たられた先生方が発表と討論をされ、招待を受けた観客が参加しました。
日々、復興の仕事に携わっていると、それはそれで復興に詳しくなるのですが、広い視野や長期の観点からの考察がおろそかになります。蟻の目になって、鷹の目を忘れるのです。皆さんの発言を聞きながら、いろいろと考えました。サントリー文化財団は、広い文明論・文化論の視点から、いろいろと良い企画をしてくださいます。
私の考えは、「大震災、変わらない日本社会、変える日本社会」(2014年3月17日、18日)に、書いたことがあります。
会場で、何人かの研究者と話を交わしました。ある研究者から、次のような議論を提起されました。
・巨額の資金と人員を投入しているが、その効果の検証はどうなっているのか。まだ工事途中であるが、いずれ検証が必要である。インプットやアウトプットでなく、アウトカムである。
・すると、人口減少が続き、また今後も続くであろう津波被災地での、本当の復興とは何であろうか。阪神淡路大震災までは、人口が増える時代の復興であった。今回は日本全体、特に被災地では人口減少が続くなかでの復興である。人口がどれだけ戻ったか、産業の出荷額がどれだけ戻ったかのような指標では、復興は成就しないだろう。
・復興とは、町でも人でも、自立することであろう。支援を続けている限りは、復興とはいえない。
・町の復興計画も、当初作ったものより、見直しをして縮小する必要がある。いくつかの自治体では、行われているようであるが。
・復興を機会に、コンパクトなまちづくり目指して、集落の集約も行うべきである。
後の2つは、まさに先週、参議院予算委員会で議論したことでした。前の2つは、これから取り組まなければなりません。