現在日本の政治分析、政治部の役割

3月24日の日経新聞「核心」は、芹川洋一論説委員長の「自民党2.0の危うさ 新たな統治の技見えず」でした。
・・自民党がすっかり変わってしまった。派閥がこわれ、権力の重心が首相官邸にうつり、保守の色合いがどんどん強まってきた―。
政権党にもどって1年3カ月。1955年の保守合同から来年で還暦。一党支配の55年体制下での自民党をバージョン1とすれば、現在はバージョン2=2.0。時代も、制度も、組織も、なにもかもが違っているのだから当たりまえだ。自民党は昔の自民党ではない。
そこで問題なのが統治の技法だ。1.0のころ、つちかったものは、すでに通用しない。だとすれば、新たなやり方を探っていかなければならないはずだが、どうにもはっきりしない。
政治を変えるのは、制度なのか、人なのか、しばしば議論のあるところだが、この20年の日本政治をふりかえると、制度の変更がまちがいなく効いている。
ふたつある。ひとつは、小選挙区の導入・政治資金の規制・政党交付金の創設を3点セットとした94年の政治改革だ。もうひとつは、省庁再編で首相のリーダーシップの強化をめざした、橋本龍太郎首相による「橋本行革」である。こちらは2001年からだから10年以上になる。
政治を突き動かすのに人の要素もやはり否定できない。「自民党をぶっ壊す」といって本当にその通りにした小泉純一郎首相の存在を抜きにして自民党の考現学は語れない。自民党1.0から2.0への分岐点は、01年から06年まで5年5カ月つづいた小泉政権にあったとみてよさそうだ。
その変化は何なのか。列挙してみよう・・
として、次の3つを挙げておられます。。
その1=派閥連合体から議員集合体へ
その2=ボトムアップの政策決定機関から「官高党低」の政策追認機関へ
その3=現世利益追求型から保守の理念追求型へ
詳しくは、原文をお読みください。
もちろん、自民党が変わった、あるいは統治の技法が変化せざるを得ないのは、日本社会が西欧への追いつきに成功し、豊かな成熟社会になったこと、また冷戦の終了と新たなグローバル化という、内外の条件が変わったことに、大きな理由があります。そして、野党との間に明確な対立軸を設定できていないことも、一つの要因(結果?)です。
さて、芹川論文に戻ると、切れ味の良い現代日本政治分析です。マスコミの政治部には、このような分析、論文が欲しいですね。日々のニュースを追うより(特に番記者として政治家を追いかけるより)、現在の政治の何が問題なのか、そしてその原因や対策を書いて欲しいです。