企業の社会的貢献、新しい段階に

先日(3月29日)の続きです。武田薬品の復興支援のページの、映像による紹介(8分間)をご覧ください。文書資料だけでは、どうしても無味乾燥になりがちです。この映像は、わかりやすいです。武田薬品がこれまでに取り組んでくださった実績や、考え方がよくわかります。
そこでも紹介されていますが、当初の緊急的な寄付金や物資の提供から、長期的な復興支援へと、支援を発展してくださっています。また、それぞれの分野で知見のあるNPOなどと連携して、支援を深掘りしてくださっています(例えば「いのちとくらし再生プログラム」)。これからの企業の社会的貢献の、モデルケースになるでしょう。ありがとうございます。
私は、今回の東日本大震災を機に、企業の社会的貢献が、新しい段階に入ったと考えています。
阪神淡路大震災が、「ボランティア元年」と呼ばれたように、今回は企業の支援活動を通じて、「企業の社会的貢献」「企業市民」が、社会に大きく認識されたきっかけになったと思います。また、ボランティアについても、NPO(組織ボランティア)の有効性が認識されたと思います。
単に、義援金や物資を送るのではない、また単純作業のボランティアではない、支援活動です。もちろんこれらも重要ですが、発災直後の「救護期」や「復旧期」から「復興期」に入ると、求められる支援は違ってきます。現地では、住民の生活支援(健康、孤立防止、相談相手、コミュニティ形成など)と、産業振興が求められています。これらは、物や金を送るだけでは、解決しないのです。相手は、人であり暮らしです。そのために、次のような要素が必要です。
1 継続的であること
2 組織的であること
3 技能やノウハウを持っていること
4 人による支援が必要なこと
5 企業にあっては、無償支援だけでなく、本業との関わりがある方が長続きすること

復興庁でも、企業による支援の類型や、NPOによる支援の類型を示していますが、一般の方に理解してもらうためには、関係者によるさらなるPRが必要です。どなたか、1冊の本にしてくださらないでしょうか。構成は、
1 主体別(企業、NPOなど)
2 支援分野別(健康、つながり、産業支援など)
3 手法別(お金、物資、ノウハウ・・)
などでしょうか。読んでもらえるように、代表的なプロジェクトの紹介とともに、関係者の物語になっていると、読みやすいです。写真と汗と涙と笑顔があると、読みやすいのです。
現在進行形で、まさに新しい分野を切り開いているところなので、本にするのは難しいでしょうが。世間に認知してもらうには、本(新書版くらい)にするのが、効果的だと思います。
今回の被災地支援は、企業の社会的貢献やNPOの活躍が、見えやすい事例です。すなわち、場所と支援内容が、限定されているからです。「新しい公」や「企業の社会的貢献」といっても、日本社会全般を相手にしていると、広すぎて、発散してしまいます。その点、復興支援は、場所が限定され、支援内容もわかりやすく、一般の方の共感を得やすいのです。これからは、今回の復興支援をてこにして、日本社会全般に、この動きを展開していく必要があります。すると、対象別や手法別の整理が、より必要になります。

政権与党、自民党の変化

3月30日朝日新聞「月曜に想う」は、星浩特別編集委員の「単色の自民 多色に戻る日は」でした。「自民党内で、自由な議論ができなくなってきているということなのだろうか」ということについて、次のように書いておられます。
・・30年近く、自民党をウオッチしてきたが、確かに、昔のように右も左も、タカもハトも入り乱れて、時には灰皿を投げ合ったりして激論を交わす光景は見かけなくなった。なぜか。
私なりに整理すると原因は三つだ。第一に衆院に小選挙区制が導入されたことで、各選挙区の公認候補は1人に絞られ、競い合って候補者を擁立していた派閥の存在理由が薄れてきた。選挙資金も党役員・閣僚の人事も、総裁や幹事長が一手に握っているから、議員たちには、執行部に背くのは損だという計算が働く。
第二に小泉効果だ。小泉純一郎首相当時の郵政民営化騒ぎで、首相の意向に背くと党を除名され、選挙では刺客と呼ばれた対立候補を立てられる。こっぴどく痛めつけられる現実を見た政治家たちは、物を言わなくなった。
そして第三が野党経験。民主党に政権を奪われて3年余、官僚も業界団体も寄りつかない。早く政権に戻りたいという願望は強かった。民主党内の混乱ぶりを見て、「党内対立が政権の命取りになる」ことも実感した。かくして、老いも若きも首相の言いなりという「単色の自民党」ができあがった・・
詳しくは、原文をお読みください。

被災地での医師や看護師不足対策

読売新聞連載「被災者を考える」3月28日に、被災地での医師や看護師不足が解消しつつあることが、取り上げられていました。もともと不足気味であったところに、津波災害や原発事故で、医師や看護婦が少なくなりました。厚生労働省や県などの努力で、戻りつつあります。
記事では、南相馬市立病院が、紹介されています。常勤医が、発災直後に14人から4人にまで減りました。4月から、20人まで増えます。県外から、赴任してくださったのです。
看護師さんはまだまだですが、地元の看護学校卒業生が、地元での就職を決めてくれて、戻りつつあります。

春の日曜日

今日30日の東京は、あいにくの雨。桜の満開宣言も出ましたが。花見を楽しみにしておられた方は、残念でしたね。地下鉄四谷駅脇にある桜は、もう少しで満開です。きれいでした。明日からは、桜の名所は大変な人出でしょう。歓送迎会に、ぴったり合いましたね。
昨日今日、我が職場は、いつもの常連職員のほか、異動を控えた職員が整理のために出勤して、休日とは思えない状態でした。申し訳ない。私も、かなり資料整理ができました。もっとも、ある職員が指摘したように、「岡本統括官、3月11日から、テーブルの上の資料の山が、減ってませんね」。う~ん。
いろんな仕事が次々とたまるので、優先順位をつけると、急ぎでない資料は積み上がったまま「化石」になります。
前例がない仕事なので、先を読んで指示を出す必要があります。そのためには、現地からの要望、職員からの報告、新聞報道などの指摘といった「ヒント」をもとに、課題を整理し、復興庁の未来の仕事を組み立てる必要があります。他方で、このような先を読む「先導」(水先案内人)とともに、復興庁が進めている仕事を「後ろから点検」していくことも(掃除人、スイーパー)必要です。これらは、新しい分野に挑戦している民間企業では、普通のことでしょうね。
楽天イーグルスは、田中投手が抜けても、開幕3連勝。ゆったりした日曜は、日本酒もおいしいし。良しとしましょう。

歳をとったら、早く寝て目が覚める

ニュースでご覧になった方も多いでしょう。厚生労働省の検討会が、睡眠を健康的に取るための指針を、見直しました。その中に、年代別の適切な睡眠時間が書かれています(報告書p10)。
・・。夜間の睡眠時間は10 歳代前半までは8 時間以上、25 歳で約7 時間、その後20 年経って45 歳には約6.5 時間、さらに20 年経って65 歳になると約6 時間というように、健康で病気のない人では20 年ごとに30 分ぐらいの割合で減少していくことが分かっています。
一方で、夜間に寝床で過ごした時間は、20~30 歳代では7時間程度ですが、中年以降では長くなり、75 歳では7.5 時間を越えます。
昔から、年をとると徐々に早寝早起きの傾向が強まり、朝型化することが知られていますが、加齢による朝型化は男性でより強いことが分かっています・・
私も若いときは、とにかく眠たかったですね。それも朝です。夜は起きていられるのに、朝は布団から出たくない。皆さんも同じでしょう。でも、歳をとると、夜は早く眠くなり、朝も早く目が覚めるようになりました(総理秘書官時代の睡眠については、別途書きましょう)。
ところが、3年前に被災者支援の仕事について以来、しばらくは朝が早かった(いろいろ思いついて、寝ていられなかった)のですが、その後、朝が起きられなくなりました。休日は、いくらでも寝ていられるくらいです(原因は、参事官たちが私をこき使うからだと推測しています。笑い)。
他方、私は、寝付けないという経験が、まずはありません。いつでもどこでも、すぐに寝るという特技を持っています。歳をとってから、この技には磨きがかかり、特に日曜夜は「ダーウィンが来た」の途中で寝てしまいます。そしてキョーコさんに起こされて、お風呂に入って、少し本を読んでも、22時には寝てしまいます。