1月22日の朝日新聞オピニオン欄に、福島県大熊町の渡辺利綱町長のインタビューが載っていました。
大熊町は、第一原発が立地し、約1万1千人の全町民が避難しています。町役場は、遠く離れた会津若松市内に移転しています。町内の中心部は、帰還困難区域と居住制限区域になっています(この資料のp19)。また、中間貯蔵施設の受け入れも、お願いしています。
・・地域の復興に30年はかかるでしょう。「もう3年たった」ではなく「まだ3年」です。日本人の平均寿命の80年からすれば短いスパンですよ。それでも昨年は株価の上昇や東京五輪招致の成功で世の中が沸き立っていたので、社会から置き去りにされているような焦燥感がありました。午前2時、3時に目が覚める日もあります。
事故直後に大熊町は40キロほど離れた田村市に避難させてもらい、体育館に寝泊まりしていました。子どもの避難先を決める臨時町議会を駐車場のバスの中で開きました。ある晩、夢の中にも事故の光景が出てきてね。パッと目が覚めて「悪い夢を見ちゃった。夢でよかった」と思ったら、横を見ると町議会議長が寝ていて、現実に引き戻されました。今でも悪い夢が続いているんじゃないか。そう思うときがあります・・
町長の苦悩を知ってもらうために、ぜひ、全文をお読みください。