村上淳一著『法の歴史』(1997年、東京大学出版会、UP選書。新装版、2013年)から。
・・明治の日本が受容した西洋法のなかでとくに重要な意味をもったのは、民法である。第一に、日本は律令制の時代に中国を手本とした成文法をもったが、その内容は刑法と行政法だけであって、民法は含まれていなかった。法は基本的に、支配者が秩序を維持するための手段であり、互いに対等な立場に立つ人々が相互の関係を規律するための民法を―少なくともその原型を―生み出すことはなかったのである。
第二に、明治以降の日本が手本とした西洋でも、ドイツやフランスのいわゆる「大陸法」諸国では、すべての法分野のなかで民法が最も長い伝統をもつものであった。「大陸法」の歴史は古代ローマに遡る。そのローマ法の主要部分を成したのは、ローマ市民(当初は大部分農民であった)が相互の関係を規律するために生み出した市民法(ius civile)であって、これが後の民法の出発点になったのである。日本法に始めから欠けていたものが西洋法では始めから中心的な意義をもっていた、と言ってもよい・・(p99)。
指摘されると、なるほどと思いました。
年別アーカイブ:2013年
自主避難者への相談支援
原発事故によって、福島県から県外に自主的に避難している方が、たくさんおられます。この方たちが、避難生活から自立した生活に移行できるよう、NPOの力を借りて支援を行います。避難先でも、同じように行政サービスを受けることができるように、制度は作ってあります。さらに細かい相談に乗ることは、これまでもNPOがしてくださっていました。
今回、情報提供(避難元・避難先の情報提供、説明会の開催等)や、相談支援(相談対応、生活状況・ニーズ等の把握等)をしてくださる4団体を選び、4県で実施することにしました。
ネット報道と新聞との戦い
大治朋子著『アメリカ・メディア・ウォーズ―ジャーナリズムの現在地』(2013年、講談社現代新書)が、興味深かったです。
インターネットの普及でオンライン報道が大きくなり、新聞社の経営を圧迫しています。新聞社は、どのように生き残りをかけているか。大手新聞社(といっても、日本ほど大きくありませんが)が、有料記事との組み合わせ販売などで、ネットとの共存を試みています。他方、地方の小さな新聞社は、地域のニュースに特化し、またライバルである他紙とニュースの共有を試みます。NPOによるニュースや、調査報道の進化も、起きています。興味深い実例が、たくさん載っています。
インターネット報道と新聞との戦いであり、広告収入の奪い合いです。先進地アメリカでの事態は、日本でも早晩起きることでしょう。日本の多くの新聞記者さんは、既に読まれたと思います。
私は、新聞という活字媒体は、なくならないと考えています。ただし、事件の報道だけなら、テレビやネットの方が早く、かつビジュアルです。アメリカの新聞記事を、日本で読むことができるのも、魅力です。
分析という付加価値をつけることが、新聞のそして記者の役目だと思います。
組織の腐敗
日本軍の失敗を分析した書物では、戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(1984年、ダイヤモンド社。中公文庫に収録)が有名です。最近の読みやすいものとして、猪瀬直樹ほか著『事例研究 日本と日本軍の失敗のメカニズム―間違いはなぜ繰り返されるのか』(2013年、中央公論新社)があります。このページでも、紹介しました(2013年8月31日)。興味ある方には本を読んでいただくとして、一節を引用します。
軍中央の指示に従わず、現地で独断専行して戦争始めます。しかし、その首謀者たちは責任を問われません。
・・軍法に反する行動をとっても、罪に問われず、結果が良ければ、英雄にさえなれる。これが、軍事組織を堕落させ、腐蝕させる重要な一因をつくっていたのではないだろうか。こうした行動は外地で繰り返されたばかりでなく、日本国内にも持ち込まれて下克上の病症を悪化させてしまったのである。
1936年頃、関東軍による内蒙工作が日中関係をこじらせていたので、当時参謀本部を実質的に動かしていた石原莞爾は現地に飛んで、関東軍参謀たちに工作の抑制を説いた。そのとき参謀の一人が「満州事変で、貴官がやったことと同じことをしているだけですよ」と発言し、満座の失笑を引き出したという。このエピソードほど、日本陸軍の堕落と腐蝕の深刻さを物語るものはなかった・・・(p51、戸部良一執筆「プロフェッショナリズム化ゆえに起きた昭和陸軍の暴走」)。
失敗に学ばない、ノモンハン事件
日本陸軍の失敗について、引き続き。あまり楽しい話ではありませんが、失敗に学ばなかったという事を繰り返さないために、書いておきましょう。
読売新聞連載「昭和時代」10月12日は、「ノモンハン事件」でした。昭和14年(1939年)に、満州国とモンゴルとの国境線で起きた戦闘です。日本陸軍が、ソ連軍の前に大敗を喫しました。日本軍の失敗の例として、必ず取り上げられるので、ご存じの方も多いでしょう。組織の失敗という観点からは、いくつかの大きな意味がありました。
日本陸軍にとって初の近代戦で、ソ連軍の前に壊滅しました。戦争ですから、勝つことも負けることもあるでしょう。しかし、組織としての失敗は、まず、この結果を学習しなかったことです。
しかも、第1次ノモンハン事件で、ソ連の戦車や火砲の前に部隊を壊滅させながら、第2次ノモンハン事件でも、相手の情勢を分析せず、ソ連機械化部隊と日本軍歩兵が白兵戦をするのです。戦死者、戦傷、戦病死、計2万人という大きな犠牲です。失敗を次に生かすことをしませんでした。
さらに、この戦闘そのものを隠蔽し、事件を分析しながら、報告書は取り上げられなかったようです。それどころか、その後、敵軍の武力を軽視し、日本軍の精神力で勝つのだという、精神主義を強調することになります。
組織としての失敗の二つ目は、現地関東軍が、陸軍中央の指示を無視して、戦争を始めたことです。官僚制機構の特徴の1つが、法令に基づき、部下は上司の命令に従うことです。その極である軍隊で、部下が上司の命に反する。あってはならないことです。
さらに問題は、中央の命に背いた関東軍作戦参謀を、その後も出世させたことです。彼らは、太平洋戦争の作戦を立てます。
大きな失敗をしたのに、戦術面で学ばず、組織人事面でもうやむやにしてしまったのです。
それができたのは、戦前の陸軍という、情報公開どころか報道すら制限された「閉ざされた組織」「閉ざされた時代」だったからでしょう。しかし、それなら、上司の責任はより重くなります。