7月16日(すみません、3月以上も前です)の日経新聞経済教室「企業統治を考える」、大杉謙一・中央大学教授の主張から。
先生の主張によれば、コーポレートガバナンス(企業統治)には、会社を「指揮、ディレクトすること」と、「統制、コントロールすること」の二つがあります。
このうち、統制については、日本と欧米諸国で大差はない。日本では監査役、欧米では監査委員会で、形に違いはあるが、果たすべき役割は共通しており、水準もほぼ同等である。
ところが、指揮については、日本企業と欧米企業では差がある。欧米では取締役会のメンバーの多くは社外取締役(国によって比率に差はある)で、戦略を策定するのは経営者であるが、社外取締役を含む取締役会がこれを精査し、承認する。そして社外取締役を中心とする各種委員会が、経営者の業績を評価し、その結果を役員人事や報酬の決定に反映させる。経営者と社外取締役の緊張関係の中で企業の舵取りが行われる。
一方、わが国の多くの企業では、社外取締役はゼロかごく少数しか存在せず、取締役会には社長のほか具体的な業務執行に責任を負う経営幹部も参加している。取締役会の議案の多くが執行案件の承認であるため、取締役会は戦略をつかさどる機関なのか、執行案件についての情報共有・意思統一のための機関なのかが曖昧である。
大杉教授の考えでは、戦後の高度成長期、未開拓の事業機会が多く、そのフロンティアに進出する場合には、日本型のガバナンスが利点が大きかった。しかし、事業立地が細りつつある場合には、立地の転換を含めて大胆な戦略が必要になる。不採算部門からの撤退など、社内の利害対立が先鋭な問題にも取り組まざるを得ない。すると、数多くの取締役(経営幹部)がすりあわせる日本型では不向きになるという見方です。
もちろん、それぞれの型に欠点があり、アメリカ企業の失敗には「現場から乖離した戦略の不発」が多く、日本企業の失敗には「慢性の無為無策」が多いのだそうです(三品和宏『戦略の不全』)。
もっとも、最近話題となっている、大手銀行の暴力団への融資見逃し、大手ホテルでの食材偽装は、統制の方の問題です。