支配者が秩序を維持するための法、市民間の関係を規律する法

村上淳一著『法の歴史』(1997年、東京大学出版会、UP選書。新装版、2013年)から。
・・明治の日本が受容した西洋法のなかでとくに重要な意味をもったのは、民法である。第一に、日本は律令制の時代に中国を手本とした成文法をもったが、その内容は刑法と行政法だけであって、民法は含まれていなかった。法は基本的に、支配者が秩序を維持するための手段であり、互いに対等な立場に立つ人々が相互の関係を規律するための民法を―少なくともその原型を―生み出すことはなかったのである。
第二に、明治以降の日本が手本とした西洋でも、ドイツやフランスのいわゆる「大陸法」諸国では、すべての法分野のなかで民法が最も長い伝統をもつものであった。「大陸法」の歴史は古代ローマに遡る。そのローマ法の主要部分を成したのは、ローマ市民(当初は大部分農民であった)が相互の関係を規律するために生み出した市民法(ius civile)であって、これが後の民法の出発点になったのである。日本法に始めから欠けていたものが西洋法では始めから中心的な意義をもっていた、と言ってもよい・・(p99)。
指摘されると、なるほどと思いました。