日本陸軍の失敗について、引き続き。あまり楽しい話ではありませんが、失敗に学ばなかったという事を繰り返さないために、書いておきましょう。
読売新聞連載「昭和時代」10月12日は、「ノモンハン事件」でした。昭和14年(1939年)に、満州国とモンゴルとの国境線で起きた戦闘です。日本陸軍が、ソ連軍の前に大敗を喫しました。日本軍の失敗の例として、必ず取り上げられるので、ご存じの方も多いでしょう。組織の失敗という観点からは、いくつかの大きな意味がありました。
日本陸軍にとって初の近代戦で、ソ連軍の前に壊滅しました。戦争ですから、勝つことも負けることもあるでしょう。しかし、組織としての失敗は、まず、この結果を学習しなかったことです。
しかも、第1次ノモンハン事件で、ソ連の戦車や火砲の前に部隊を壊滅させながら、第2次ノモンハン事件でも、相手の情勢を分析せず、ソ連機械化部隊と日本軍歩兵が白兵戦をするのです。戦死者、戦傷、戦病死、計2万人という大きな犠牲です。失敗を次に生かすことをしませんでした。
さらに、この戦闘そのものを隠蔽し、事件を分析しながら、報告書は取り上げられなかったようです。それどころか、その後、敵軍の武力を軽視し、日本軍の精神力で勝つのだという、精神主義を強調することになります。
組織としての失敗の二つ目は、現地関東軍が、陸軍中央の指示を無視して、戦争を始めたことです。官僚制機構の特徴の1つが、法令に基づき、部下は上司の命令に従うことです。その極である軍隊で、部下が上司の命に反する。あってはならないことです。
さらに問題は、中央の命に背いた関東軍作戦参謀を、その後も出世させたことです。彼らは、太平洋戦争の作戦を立てます。
大きな失敗をしたのに、戦術面で学ばず、組織人事面でもうやむやにしてしまったのです。
それができたのは、戦前の陸軍という、情報公開どころか報道すら制限された「閉ざされた組織」「閉ざされた時代」だったからでしょう。しかし、それなら、上司の責任はより重くなります。