日経新聞が、フォーブスの記事を転載しています。「語られ始めた『日本の失われた20年はウソ』という真実」(電子版、2013年8月29日配信)。その記事の中で紹介されている、Eamonn Finglton氏の「The Myth of Japan’s Failure」(The New York Times、January 6, 2012)。
この20年の間に、私たちは、何を失い、何を間違ったのでしょうか。先日も、「日本は異質か」(2013年8月16日)を書きました。整理し分析しなければならないことは、次のようなものでしょう。
・日本の問題と先進国の共通問題
・日本経済の問題として、バブル崩壊、不良債権の処理、デフレ経済
・日本の経済社会の構造的問題として、追いつき型経済・日本一人勝ち経済の終了
・グローバル化と国際金融危機の影響
・そして、新たな産業・経済への挑戦
・その間に、日本の政治と金融界・経済界は、何をして、何をしなかったのか
私は、日本の政治も金融界も経済界も、それなりにこの大きな課題に取り組んだと考えています。しかし、バブル崩壊、不良債権処理はこれまでに経験したことのない大きさであり、国際金融危機は日本一国で対応できるものではありませんでした。もちろん、もう少し早く上手に手を打てばよかった、という批判はあると思います。でも、10年前に日本を批判した各国が、同じような道を歩み、日本批判をしなくなりました。
たしかに、経済成長率も低下し、世界での工業製品のシェアもいくつも落としました。賃金も上がらず、非正規雇用も増えました。しかし、よく見ると依然として多くの日本人は豊かな生活を送り、健康で長生きです。町並みもきれいで、社会は安心安定しています。何がダメで何がよかったか、何が変わらなかったか。それを、分野別に分析すべきです。
問題の一つは、「失われた10年」「日本はダメになった」という流行語に、日本人が自虐的に浸ってしまったことです。現実の悪い面を直視することは、よいことです。しかし、それはその課題を克服するためであって、自らを貶めて満足していては、進歩はありません。さらに、「日本の全てが悪い」というレッテル張りは、努力した面やよかった点を評価せず、知的な分析をサボってしまいます。「流行語が作る時代の雰囲気」。(2013年1月9日)
そしてそれは、次の問題につながります。すなわち、課題の解決に向けての建設的な議論とそのための改革を、妨げるのです。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といった日本礼賛の裏返しが「失われた10年」であり、「一億火の玉だ」の裏返しが「一億総懺悔」になります。マスコミにあっても、「ヨイショ記事」か「何でも批判」のどちらかでは、冷静な分析に欠け、建設的な代案の提示がありません。