南川高志著『新・ローマ帝国衰亡史』(2013年、岩波新書)を読みました。あのローマ帝国が滅亡したことに、多くの人は感慨を持ち、その原因を知ろうとします。
結果には、原因があります。特に「失敗」の場合には。かつてこのページでも紹介しましたが、プロ野球の野村監督がよく使う言葉に、「不思議な勝ちはあるが、不思議な負けはない」のです。
いろんな要素が絡み合って、結果が出ます。隆盛を誇った組織が衰退したときに、誰しもが「なぜ?」と思います。そう簡単に、例えば3行で表現することは難しいとわかっていても、私たちは「単純な答え」を求めます。南川先生の本も、その一つの答えだと思いますが、成功しているかどうかは、それぞれお読みになって、判断してください。
まず、東ローマ帝国と西ローマ帝国は、ほぼ千年もの時間差をおいて滅亡しています。よって、原因は違うのでしょう。この点は、南川先生の本が参考になります。
次に、滅亡とは、何をさして言うのか。王朝が途絶えることで滅亡というのか、その国を国たらしめている要素がなくなったときに滅亡というのか。軍人皇帝が次々と擁立され廃位されても、ローマ帝国はローマ帝国でした。他方で、王様の子孫がどこかで生きていても、国の中心が別の勢力に支配されていたり、国の仕組みが大きく変化していたら、それは「別の国」でしょう。その点では、ローマ帝国が滅亡したときに、かつての帝国や共和制を支えた「元老院」は、何をしていたのでしょうか。
西ローマ帝国が衰退・滅亡した要素は、何か。逆に、西ローマ帝国の末期に、帝国を支えていた要素は何か。地中海ではなく「ゲルマンの森」であり、ローマ市民ではなく「ゲルマンの民」であったのです(先生は、ゲルマン民族はなかったと主張しておられるので、誤解のないように)。しかし、それでも当時の人は、「我々はローマ帝国の市民だ」と考えていたのでしょう。
私が関心を持っているのは、ある国や組織が衰退したときに、それが外的要因(フン族の侵入なのか、自然環境の変化なのか)、内的要因(組織の腐敗か、社会構造の変化・指導者層の怠惰と安逸か)なのかです。多くの場合、外から攻められて崩壊したことより、組織内部がうまく処理できなくなって崩壊したと思います。それが顕在化するのが、環境の変化です。古代ローマ帝国を考えなくても、1990年代以降の日本、近年破綻した企業や銀行、さらには1941年の日本帝国(特に陸海軍)・・。