相原孝夫さんの発言から(続き)。
・・一方で、会社にとって困った社員はやはり存在し、そうした人は異動で不遇感を味わいやすいことも事実です。自分の実力を誤認しているナルシスト、自分をさておき他人をとやかく言いたがる評論家、自分の立場を理解せず、関係ないことに口をはさむ分不相応な人。彼らに共通するのは、自分を客観視できず「自分が思っている自分」と「周囲から見られている自分」との間に、大きなギャップが生じていることです。
会社から求められている役割を理解し、期待通りに演じられるのが優秀な人ですが、自分を客観視できない人にはこれが難しい。思い込みで突き進めば、当然周囲の評判は下がります・・
この項、続く。
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市町村役場の役割、住民相談
市町村役場では、住民に対し、さまざまな支援(サービス)を提供しています。その一つに、住民相談があります。
どのような肉や野菜を買ったら良いかや、どのような服やスカートが似合うかは、商店に行けば相談に乗ってくれます。しかし、日常の暮らしには、いろんな困りごとや、どうしてよいかわからないことも多いです。子どもの時は、家族や先生に相談し、教えてもらったものです。職場の同僚に教えてもらうことも多いです。最近だと、インターネットで調べたり、聞いたりすることもありますね。
それができない場合、どこで誰に聞けばよいか。親しい人に知られたくないこともあります。でも、直ちに弁護士に相談する人は多くないでしょう。市町村役場が、この機能を担っています。
杉並区の広報4月1日号(p10)に、1ページにわたって、区役所が行っている相談事業が載っていました。
子育てや教育、保健福祉、高齢者、障害者、就労、消費者、家庭内の悩み(離婚、親子の悩み)、住宅、犯罪などなど。ご覧ください。これだけもあるのかと思うとともに、一つひとつなるほどと思うことばかりです。皆さんの住んでいる市町村役場でも、行っています。
相談というのは、見えにくいですが、重要なサービスです。ここで情報を得て安心することもあるでしょうし、それぞれの悩みを解決するために行っている具体サービスや専門窓口(経済支援や入所サービス)に誘導することもあるでしょう。
グローバル化が行政に与えるインパクト
大橋洋一執筆「グローバル化と行政法」(『行政法研究第1号』(2012年9月、信山社)所収)が、勉強になりました。この雑誌は、宇賀克也東大教授が創られた、行政法学のアカデミックな研究論文を掲載する雑誌です。また、大橋先生の論文は、2012年6月にソウルで開催された「東アジア行政法学会第10回大会」の報告の一部です。
詳しくは、論文を読んでいただくとして、私が参考にしたのは、次のような指摘です。
国家を中核的単位として発展してきた行政法学にとって、国家の境界を越えたグローバル化は、大きな変革要因になっている。
グローバル化には、次の3つが含まれている。
1 経済取引が地球規模にまで拡大したことに伴い発生する問題群、「市場のグローバル化問題」。
2 地球規模で人や物、資本ないしサービスが自由に行き来することに伴う問題群、「移動・移転に伴うグローバル化問題」。
3 国家の枠組みを超えて地球規模での対応を必要とする新規政策課題、「地球規模の政策課題としてのグローバル化」。
そして、グローバル化が地球規模の移動を持つ動態的概念であることから、国境という境界線を設定し、その内部での統治、支配、管理、規制といった要素に起源を持つ伝統的国家像に対して修正を迫る傾向を持つ。また、安定的秩序形成を基本的任務としてきた法律制度と法律学に対しても、緊張関係に立つことがある。
国際行政法では、国家の上位に超国家機関を設立して、そこに各国の行政権が持っていた権限を移譲するのではない。従前のように、各国が議会を持ち、行政機関を配置して、国内行政事務に加えて国際行政事項の執行も担わせるという基本形態を維持した上で、国際機関なり国家相互の協議で取り決めた基準や目標を国内において円滑に実現していく。つまり、国家相互間の制度調整問題が、中心的検討事項とされている。
すると、グローバル化は、行政のスタイルの変化も要請する。
例えば、従来の公法学では、行政主体間の調整原理として、官僚組織を念頭に置いた、垂直関係における階層性の調整が重視されてきた。これは指揮監督権に基づく調整ルールである。これに対し、国家相互間の調整や、国内にあっても地方分権や市民に近い行政過程が重視されるようになると、対等主体間の協議ルールや補完性の原則などが重要性を獲得する。従前のように、広域の主体が優位性を誇るといった調整原理ではなく、それぞれの主体が自己の利害や構想を主張する一方で、相手方の利害や立場に対しても敬意を払う相互配慮が調整原理として注目されることになる。
私たち官僚は、行政実務の先端で働いていて、自分が担当している事案や分野では、第一人者になろうと努力しています。しかし、私たちがおかれている環境や課題の変化とそれに対する理論について、全体像を見ることは困難です。マスコミや学者による、鳥瞰図や理論化は、役に立ちます。
左遷、日本の会社の場合は、横滑り
4月13日朝日新聞オピニオン欄「左遷?上等だ!」、相原孝夫さん(人事・組織コンサルタント)の発言から。
・・日本の会社では、本人が「左遷」だと思い込んでいるだけで、実際には左遷ではないケースが大半です。例えば、本社の企画管理部門で働いてきた人が、営業の第一線に出されただけで「左遷」と思い込む。だが、会社が幹部育成をめざし、あえてそういう人事をするのも珍しくありません。本人には事実を告げず、腐らずやれるかどうかを見ているのです。
左遷とは本来、降格を伴うものですが、そうした例はほとんどない。現実は「横滑り」であり、相対的に思わしくない部署に行く程度のことでしかない。それを本人が「左遷」と悲観する背景には、会社への過剰な期待があります。日本の企業は社員に優しい。何度もチャンスを与えるし、一度や二度の失敗は大目に見る。だから社員も「会社は自分にとって望ましいキャリアを考えてくれる」と思い込み、異動先が期待と少々異なっただけでショックを受ける・・
この項、続く。
サッチャー首相の評価、敵は身内に
イギリスのサッチャー元首相が、4月8日に亡くなりました。衰退したイギリスを立て直したことについての評価は高く、他方、反対者も多いことが取り上げられています。しかし、多くのそして強い反対を押し切って改革を行ったことは、皆が認めるところです。
4月17日の日経新聞経済教室、中西輝政京都大学名誉教授の「サッチャリズムの歴史的評価、党派超え改革路線ひく」から。
・・サッチャー改革の敵は、たしかに野党や労働組合あるいは低所得層の庶民であったかもしれない。しかしその最大の敵は終始、与党・保守党、それも内閣の中にいた「保守穏健派(ウエット)」と称される有力政治家たちであった。市場メカニズムに依拠した経済改革の先陣を切る役割は保守政党によってしか果たし得ないが、その成否は常にこの党内の「ウエット」の抵抗をどう乗り越えるか、という一点にかかっている。
2005年の10月、サッチャーの80歳の誕生パーティーにはエリザベス女王夫妻やトニー・ブレア首相も列席したが、その席上、サッチャー内閣で代表的な「ウエット」の1人でありながら蔵相としてサッチャー改革を支え続けたジェフリー・ハウは、次のように語っている。「サッチャー改革の真の勝利は、(保守党内の抵抗を排して)1つの政党だけでなく2つの政党を変革したことだ。その結果今日、労働党が政権の座に復帰しても、サッチャリズムの大半はもやは不動の政策として受け入れられている」・・