4月1日の読売新聞文化欄、三谷太一郎先生への『学問は現実にいかに関わるか』(2013年、東京大学出版会)についてのインタビューから。
・・日本には、江戸末期に「社中」と呼ばれる知的共同体が全国各地にありました。一つひとつは小さく、そのリーダーもそれほどの知的巨人ではないけれども、そこで人々は学び、盛んに議論した。それがまた「処士横議」という、幕府や藩を超えた横のコミュニケーションを生み、日本近代の前提となりました・・
大正から戦後の一時期までは、『中央公論』などの総合雑誌が日本の知的共同体を作っていました。その中には学者も政治家も文学者もいて、政治学者でいえば吉野作造、南原繁、丸山真男など、アマをリードするプロの知識人もそこから生まれました。昨今の総合雑誌の衰退は、こうした知的共同体の弱体化を意味し、大きな損失です・・
さらに今考えるべきは、国境を超えた知的共同体を作っていくことでしょう・・