読売新聞「時代の証言者」今月は、福島県飯舘村の菅野典雄村長です。寒村の条件の下、酪農を志し、他方で厚い志を持っておられたことが、回顧録として記されています。
飯舘村は、全村避難を余儀なくされています。3.11までは、充実した幸せな生活を送っておられました。最初に村長にお会いした時、「しっかりされた村長だな」と印象を持ちました。その後も、何度もご一緒していますが、私の尊敬する村長の一人です。
村長は、「村が一丸となって帰るのだ」という信念を、当初から持ち続けておられます。この連載には、その背景が、書かれています。例えば、「村おこし」のために、仮装大会の他、さまざまな取り組みをされたようです。3月25日の「世界から村を見なおす」に、次のような話が紹介されています。
村では、若妻たちをヨーロッパに派遣する企画を行いました。「若妻の翼事業」です。引き続き、「嫁・姑、キムチの旅」「心の翼、家族物語」と、若嫁から始まって、年配婦人、親子、おじいちゃんと孫が、海外旅行に行きます。それも、農繁期に行くことで、ありがたさがわかるようにという配慮もしてです。その人たちが、その後の村づくりの人材となります。すばらしいですね。
さらに、この企画が実現できたのは、竹下内閣が「ふるさと創生事業」として配った、「ふるさと1億円」があったからだそうです。
・・・あの資金は、金塊を買うなどの自治体もあって「地方の無駄遣いの温床」と批判されましたが、我々の村では、その後の地域づくりに大変役に立ったのです・・
「ふるさと1億円」と聞いても、若い人は知らないでしょうね。昭和63年度(1988年度)の話ですから。四半世紀前の話です。このように役に立って、評価された自治体もあったのです。1億円があったとき、それを生かすも無駄にするのも、首長の識見です。
当時これを、自治省交付税課で担当した補佐が、椎川忍先輩でした。私はその後を引き継いで、平成2年から、地方債と交付税を組み合わせた「地域づくり推進事業」を担当しました。その頃の考え方は、『地方交付税-仕組と機能』に詳しく書きました。