読売新聞は政治面で「憲法考」を連載しています。2月28日は「改正、世界では当たり前」です。このHPでもかつて紹介しましたが、日本国憲法は1946年の公布以来、半世紀余り一度も改正されていない、世界でも珍しい憲法です。
記事によると、戦後の憲法改正回数は、次の通りです。ドイツ58回、フランス27回、アメリカ6回、カナダ18回、イタリア15回、韓国9回です。この13年間でも、ドイツ11回、フランス10回、イタリア6回、スイス23回です。
もちろん、改正された内容や各国の事情を考慮しなければ、単純な数字の比較は意味がありません。基本的人権の保障などは、改正されないものでしょう。
しかし、憲法は「不磨の大典」(侵すべからず)という考えは、自らの統治構造や基本的人権を自らの力で見直すという民主主義とは相容れません。これまで、民主的と名乗る勢力が「憲法を守れ」と叫んだのは、ラベルの張り間違えか、民主主義のはき違えでしょう。
ところで、私が習った頃の大学の憲法の授業や教科書は、現憲法の解釈が主で、このような考え方もあるとか、このような改正も考えられるといった、未来への思考がありませんでした。
かつてこのHPで、ある教授の「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」という発言を紹介しました(2005年6月24日の記事)