ソーシャルワーカーという仕事

宮本節子著『ソーシャルワーカーという仕事』(2013年、ちくまプリマー新書)を紹介します。「ソーシャルワーカー」という言葉は、皆さん聞かれたことがあると思います。でも、その仕事の内容を知っている人は、多くはないでしょう。私も、そうです。
カタカナであることが、まだ身近でないことを表しています。例えば「介護保険」という言葉の方が、後からできたと思いますが、こちらはほとんどの人が知っているでしょう。「ケア・マネージャー」となると、どうでしょうか。

宮本さんは、次のように書き出しておられます。
・・・私たちは、生まれてから死ぬまでの人生を歩む時、さまざまな幸せな出来事や不幸な出来事に遭遇します・・不幸せな時にはさまざまな手助けを得ながら持ち直して暮らしを立て直していきます。ソーシャルワーカーの仕事は、この”手助け”をすることです。つまり、この社会で生きていく中でのある種の生きづらさに遭遇してそれを緩和したい、よりよく生きていきたいと人が願う時、ソーシャルワーカーの出番がきます・・・
そして、次のような場合を挙げておられます。
・失業、疾病、老齢、障害等で、経済的に生活が立ちゆかなくなった時
・経済的には何とかなるが、疾病、老齢、障害等で、日常生活を過ごすことができなくなった時
・高齢となり身体やメンタルな介護が必要になった時
・離婚等で家族関係を再構築しなければならなくなった時
・保護者がいなくなったり、虐待をする不適切な保護者であったりする時
・学校に居づらくなったり、学校に行けなくなってしまった時
・配偶者から深刻な暴力を受けて生活を維持できなくなった時
・地域社会から孤立している時
・刑務所から出所したが生活の再建がうまくいかない時
「ひとの生活に介入し、個人と社会をつなぎ直す」とも、書いてあります。私のこのHPで書いている「社会関係リスク」の、「お医者さん」と言ってもよいでしょう。

この本では、著者の経験した実際のケースを元に、一人で暮らしていけない人を救うとはどういう仕事か、そして知識と技術と心が必要だということが、述べられています。かなり「厳しい」ケースが載っています。この職業が大変なものだとうことが、わかります。
プリマー新書は、中高生を対象とした新書のようですが、この人たちにわかるように書くのは、難しいです。だから、大人が読むと、わかりやすいです。

復興庁発足1年

先日、記者さんから「2月10日で、復興庁が1年を迎えますが、何か行事をしないのですか」と聞かれました。私は、1年ということを全く意識していなかったので、「へえ、もう1年が経つんだ。いや、まだ1年しか経っていないのだ」としか思いませんでした。理由は、次の通りです。
1 復興は、被災地の現場で行われるものであること。復興の主役は住民であり市町村であって、復興庁はそれをお助けする立場であること。
2 現地の復興度合いが、「物差し」であるべき。復興庁ができて1年が経っても、何の節目でもないこと。それよりは、住宅の再建が進んでいるか、進むかの方が、重要なこと。
3 被災地では、起点は平成23年3月11日であり、24年2月10日は通過点でしかないこと。たぶん、被災者の方にとって、復興庁が1周年を迎えても、何の感慨もないであろうこと。
4 私にとっても、この仕事に従事したのは23年3月19日からです。引き続いて、被災者生活支援本部復興対策本部復興庁と切れ目なく復興支援の仕事をしているので、2月10日に何の感慨も浮かばないこと。毎日、忙しく走り回っているので、節目という気がしないこと。

もちろん、節目節目に、これまでの成果を評価し、進んでいないところや問題点を把握して、改善していかなければなりません。これについては、政権交代直後に、総理指示を受け政策の総点検を行い、当面取り組む対策を決めました(1月29日、復興推進本部)。また、この1年で復興が進んだ点と課題については、第三者機関である復興推進委員会から、報告(2月7日)をいただいたところです。

被災現場と行政をつなぐ民間登用国家公務員

月刊誌『世界』3月号(岩波書店)に、秋山訓子さん(朝日新聞記者)が、「内と外から世界を変えていく」を書いておられます。
今回のテーマは、「被災の現場と政府をつないだ民間登用国家公務員」です。公を官が独占するのではなく、民も担ってもらい、官はそれを後押しする事例として取り上げています。「新しい公共」の一事例です。
そこに、復興庁で働いてもらっている、田村太郎さんと藤沢烈さんの活躍が紹介されています。彼らがやってくれている、被災現場と市町村や国をつなぐ役割や効果を評価してくださっているのです。
記事でも紹介されているように、行政はいろいろと被災者を支援する制度を作っているのですが、住民の方には十分には理解されていないことが多いです。まず、どこにどのような制度があるかわからない、誰に相談して良いかわからない、書類を見ても「役所ことば」で理解できないなどです。
なるべくわかりやすい解説やパンフレットを作るようにしていますが、あまりにたくさんの制度があるので、私ですら全体を説明できません。いえ、どんなスーパーマンがいても、無理でしょう。住宅のこと、病院のこと、学校のこと、商店の再開のこと、ローンのこと・・
やはり「相談窓口」「相談に乗れる人」が必要なのです。また、現場での課題を吸い上げるにも、公務員だけでなく民間の方の力は大きいです。
復興本部と復興庁では、「ボランティア連携班」を作っています。NPOに活躍してもらうために、「活用可能な政府の予算一覧」「行政と民間が分担できる復興の分野」「NPOとの連携事例集」などを、提供しています。これらも、お二人の提言などを基にしています。
秋山さんの記事の中で、私も紹介してもらっています。行政とNPOとの間の敷居が高いときに、お二人が私たちに協力することのリスクを指摘しました。
・・・「あんたら、私に使われてもいいのか。(NPOからすれば)裏切り者かもしれないよ」
「違います。我々が岡本さんを使うんです」二人はそう答えたという・・・(p71)
この台詞には、私も一本取られました。詳しくは、雑誌をお読みください。

原発事故避難者の意向調査、その2

先日(5日)の3市町村に続き、今日8日に、楢葉町と富岡町の住民意向調査結果を公表しました。富岡町では、戻りたいという人が16%、戻らない人が40%、決めかねている人が43%です。避難期間中の住居は、持ち家希望が49%、公営住宅は26%です。町外コミュニティに住みたい人は24%、住まない人が24%、判断がつかない人が48%です。町外コミュニティの希望者は、高齢者が多いです。
これで、7市町村の調査を公表しました。浪江町と大熊町(2回目)は、現在集計中で、3月には公表する予定です。このほかの市町村は、調査を行う予定はありません。

金曜の夜9時過ぎの職場

今日は放課後に、異業種懇談会(勉強会)でした。連休明けの予算委員会の答弁確認などで、遅れて参加しました。ところが、「誰も引き受けてくれなさそうな質問」が出たと職場からメールが入り、ちょうど一緒にいた参事官2人と職場に戻りました。
私は残業はしない、飲んでからは職場に戻らないことを、「哲学」にしています。しかし、少々やっかいな質問なので、家のパソコンで見るより職場で考えた方が効果的と思い、「連れ」もいたので戻りました。懇談先から職場に戻るなんて、何十年ぶりでしょうか、記憶がありません。
ところが、職場に戻ると、来るわ来るわ、次々と職員が答弁の確認やら、「幕間を利用して、ちょっと良いですか」の連続攻撃に遭いました。
金曜の夜9時過ぎに、ほとんどの職員が仕事をしています。明日の総理と大臣の現地視察の準備のため、夜のうちに出発した職員もいました。みんなに、感謝しなければなりません。と言いつつ、みんなを残して、私だけが先に帰りました。申し訳ない。そして、このホームページを書いています。
と書きましたが、そうは簡単に許してくれませんね。その後も、次々と答弁案確認要求メールがきて、25時前までかかりました(苦笑)。