12月20日の朝日新聞が、イギリスでの「新聞報道を法規制するかどうか」の議論を伝えていました。イギリスの大衆紙が、殺害された少女の携帯電話の留守番メッセージを盗聴していた事件や、個人情報を金で入手する慣習、個人の医療情報を報道していることが問題になっています。
イギリスには、誤報やプライバシー侵害などの苦情を受け付け、是正を求めるメディア側の自主規制機関がありますが、中立性に欠けるとの批判もあります。
独立調査委員会が、「法律に基づく新聞監督機関の設立」を勧告しました。これが、報道や言論の自由を損なうとの批判を受けています。
報道の自由をどこまで認めるか。政治と憲法の大きな課題です。自由がなければ、自由主義や民主主義は機能しないでしょう。近代西洋国家が、自由と民主主義を手に入れる際に、言論と報道の自由は主要な人権の一つでした。
しかし、何を報道しても良い、報道するためなら何をしても良い、というわけではありません。わいせつな内容は規制され、プライバシーは守られるべきです。どこまでが自由か。最終的には、裁判所で判断されます。
それに至るまでに、個々の記者の良識に任せるのか、社の自主規制に委ねるのか、業界の自主規制で良いのか。政治学や憲法学で、もっと詳細な議論がなされるでしょう。
私がこの記事を読んで思い浮かべたのは、経済活動の自由です。自由主義市場経済が良いとしても、すべてを自由にしてはうまく機能しないことが実証されています。個人や企業の倫理に任せているだけでは、公正な商業・金融活動が行われないので、各種の規制が持ち込まれています。自由を守るためには、規制が必要なのです。