10月27日の朝日新聞オピニオン欄「ものを言い始めた最高裁」、御厨貴先生の発言から。参議院の1票の格差について、違憲状態判決が出たことに関して。
・・最高裁の判決は驚きでした。「違憲状態」は妥当ですが、論の立て方が最高裁らしくない。最高裁判決は、格調は高いが何を言っているのか分からないのが相場でしたが、今回は判決要旨も補足意見、反対意見も極めて明快。しかも都道府県単位の選挙区はダメだとか、同じ枠組みで選挙をすれば無効だとか、踏み込んだメッセージが目立つ。もはや政治論です。
戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の支配下で米国の合衆国最高裁をモデルに新設された日本の最高裁ですが、ようやく米国流に司法が政治にメッセージを発するようになったといえます。
大法廷の裁判長でもある竹崎博允最高裁長官は相当迷ったと思います。ことは今後の最高裁、司法のあり方にかかわるからです。悩んだ末、劣化する立法や行政に対して裁判所がどう自立するかというところで、国民に寄り添い世論に近い判断をするという選択をしたんだと、私はみています・・
最高裁自体、それまで基本的に自民党政権の枠内に収まるようにやってきました。最大の権力である違憲立法審査権はほとんど行使しない。田中耕太郎長官が1959年の砂川事件判決で、安全保障など国の基本問題については違憲かどうかの法的判断は下せないとする「統治行為論」を採用したのは、その象徴です・・
とはいえこの路線が通用したのも矢口(洪一長官)さんあたりまで。1990年代以降、連立政権が続き、自民党も行政も劣化したからです。矢口さん自身、2000年には「政治と行政が自壊し始めた結果、司法が強くなってきた」と言っています。政治に寄り添うだけの手法は通用しなくなりました・・