続・進む三位一体改革

「進む三位一体改革(3)」月刊『地方財務』2005年6月号所収
進む三位一体改革-評価と課題(月刊『地方財務』2004年8月号、9月号)の続きです。16年度中の動きを解説してあります。訂正です。p121上段7行目「同等部会」は「合同部会」の間違いです。(6月2日)

  目次
はじめに
第六章 平成一七、一八年度の「全体像」決定
1 地方案の決定
(1)経過 (2)戦う知事会 (3)概要
2 政府での協議
(1)国と地方との協議 (2)各省の抵抗 (3)財務省による「攪乱」 (4)総務省の提言 (5)与党との協議
3 政府案決定
(1)概要 (2)地方案との違いと残されたこと
4 平成一七年度分
(1)国庫補助金改革 (2)税源移譲 (3)地方交付税 (4)その他 (5)累計
5 評価
(1)地方団体の反応 (2)新聞の論調 (3)評価その一ー実現度 (4)評価その二ー過程 (5)一六年度予算への反省の成果
第七章 三位一体改革の位置付け
1 地方分権としての評価
(1)短期 (2)中期 (3)戦略論
2 政治改革としての評価
(1)政治権力論 (2)政治構造論
第八章 これから
1 三位一体改革に残されたこと
(1)平成一七年の動き (2)中長期課題
2 その次の地方行政
(1)自治の運用の充実 (2)地方財政の新たな地平
あとがき

「進む三位一体改革(4)完」月刊『地方財務』2006年7月号
17年度中の動きと成果、4年間の成果と評価、これからの課題を書いてあります。82ページにわたる大作です。これで、三位一体改革第1期の解説と、アジテーションはひとまず完結です。
今回も、財政改革だけでなく、政治改革として分析しました。三位一体改革がなぜ進んだか、なぜ進まなかったか。他の改革や、現在の進行状況と比べて、要因を分析してあります。この間、いろんな方と議論しました。また意見を聞いてもらいました。その点では私の論文というより、私に論戦を挑んだ記者さん、学者の皆さんや国会議員さんとの合作です。私としては、類例のない論文と自負しています。ぜひ、お読みください。
早速訂正です。p114資料37の注4で「30.094億円」とあるのは「30,094億円」の間違い、注5で「7.393億円」とあるのは「7,393億円」の間違いです。(7月4日)

 目次
はじめに
第九章 三位一体改革の達成
1 平成一七年度の経過
(1)骨太の方針2005 (2)地方案の決定 (3)義務教育国庫負担金の扱い (4)生活保護の扱い (5)施設費の扱い (6)政府案の決定へ
2 政府案
(1)概要 (2)地方案との違い (3)評価
第一〇章 三位一体改革の成果
1 過程
(1)経過 (2)なぜ進んだか
2 成果の全体像
(1)補助金改革 (2)税源移譲 (3)交付税改革 (4)その他の項目 (5)波及効果
3 評価
(1)個別目標について (2)目的に照らして (3)政治へのインパクト (4)見えてきたこと (5)全体像についての評
第一一章 今後の課題
1 第二期改革にむけて
(1)第二期の課題 (2)現在の動き (3)どこへ向かうのか
2 地方財政改革の将来
(1)財政再建 (2)分権と自律 (3)戦略
あとがき

(その後)
この連載を1冊の本にしようと作業をしていましたが、挫折しました。時機を失してしまったのです。
その代わりとして、次の2論文に要約してあります。そちらをご覧ください。(2007.9,22)

「地方財政の将来」神野直彦編『三位一体改革と地方税財政-到達点と今後の課題』(2006年11月、学陽書房)所収は、三位一体改革の到達点を踏まえ、今後の課題と進め方を解説しました。
構成と執筆者は、次の通りです。意義と課題(神野先生)、経緯(佐藤文俊総務省自治財政局財政課長)、到達点・国庫補助負担金の改革(務台俊介前調整課長)、同・地方税の改革(株丹達也前自治税務局企画課長)、同・地方交付税の改革(黒田武一郎交付税課長)、地方財政の将来(私)です。

「三位一体改革の意義」「今後の課題と展望」『三位一体の改革と将来像』(ぎょうせい、2007年5月)所収
第1章総説の第1節「三位一体改革の意義」と第4節「今後の課題と展望」を、私が執筆しました。一部、「地方財政の将来」(神野直彦編『三位一体改革と地方税財政』学陽書房所収)と、重複している部分があります。ただし、今度の論文には、年表(目標の設定と達成度)や税目別税源配分の表なども、つけることができました。早速訂正です。p6の11行目、「その要因の2つは」とあるのは、「その要因の1つは」の間違いです。

先日、行政学の泰斗(私の行政学のお師匠様)とお話ししていたら、「必要があって、岡本君が書いた「進む三位一体改革」(月刊『地方財務』連載)を読んだけど、やたらと長かったね」とのお言葉。
「先生、すみません。あれは、関係者向けの実況中継だったんです。一冊の本にまとめるときは、そぎ落とそうと考えていたんですが、時機を失してしまいました」とお詫びしました。その代わりと言ってはなんですが、今回の論文が、要約になっています。短くすると、本当に言いたいことだけになって、わかりやすくなっています、自画自賛です、はい。(2007年6月1日、3日)

(祝『地方財務』700号)
月刊『地方財務』(ぎょうせい)が、700号を達成しました。昭和29年(1954年)6月から、58年かけてです。
私が昭和30年1月生まれですから、その半年前ですね。それは全く関係ないとして、地方財政では、昭和29年度から地方交付税制度が始まっています。私が交付税課長の時(2001~2003年)に、「50周年記念をしなければ」と職員と議論していたことを、思い出しました。
記念論文として、小西砂千夫先生が、10編の論考を選んで、概要を紹介しておられます。半世紀以上の歴史を振り返り、代表的論文を選ぶことは、大変な作業だったと思います。小西先生、ありがとうございます。私にもう少し暇があれば、お手伝いできたのですが。
しかも、10編の中に、私の文章も選んでくださっています。「進む三位一体改革―その評価と課題」(2004年8月、9月、2005年1月、6月号)です。身に余る紹介をいただいて、恐縮です。その中で、小西先生は次のようなことも書いておられます。
・・できごとに対して、当事者がどのように反応したかを直接話法で表現しているところも、現役官僚の文章とは思えない斬新さを感じさせる。
論文の中で、「・・・と私は考えた」といった表現が散見される。それは、筆者が目の前の事象をどのようにみたか、何が論点であり、制度改正が実現するうえでどこが転換点であったかなどを、一人称でリアルに書こうとしているからである。そのような鋭い論評がちりばめられていることが、他の岡本論文にも通じる魅力である・・
この原稿は、交付税課長を終え、官房総務課長で国会を走り回っている頃に書いたものです。当時は、このホームページで、毎日実況中継していました(6 三位一体改革の記録)。振り返ると、懐かしいですね。書いておけば残ります。
後に、西尾勝先生から、「必要があって、岡本君が書いた『進む三位一体改革』を読んだけど、やたらと長かったね」との「おしかり」をいただきました。たぶん、先生が『地方分権改革』(2007年、東大出版会)を書かれる際のことだと思います。私は、「先生、すみません。あれは、関係者向けの実況中継だったんです。一冊の本にまとめるときは、そぎ落とそうと考えていたんですが、時機を失してしまいました」とお詫びしました。そんな思い出もあります。
さらにその後、私は内閣官房や官邸の仕事が主になって、地方財政から離れました。
(2012年10月3日)

勢力均衡や覇権主義でない国際秩序

G・ジョン・アイケンベリー著『リベラルな秩序か帝国か―アメリカと世界政治の行方』(上下、邦訳2012年、勁草書房)が、とても勉強になりました。
日経新聞での教授の主張を読んで(8月11日の記事)、興味を持ちこの本を読みました(途中で他の本に手を出したとはいえ、読み終えるのに1か月半かかっています)。教授の主張を、極端に簡単に紹介すると、次のようなものです。
第2次大戦後の世界政治を規定した、アメリカのグランド・ストラテジーは、2つあった。
一つは、冷戦、対ソ関係であり、勢力均衡、核抑止、政治的イデオロギー的競争による「封じ込め政策」です。
もう一つは、1930年代の経済苦境と政治的混乱、それから発生した第2次大戦を再び起こさないことであり、経済の開放性、政治の互恵性、多国間で管理する国際関係といった「リベラル民主主義的な秩序」です。
前者は、ソ連を「敵」とし、リアリズムに立ちます。後者は、1930年代の失敗を「敵」とし、リベラリズムに立ちます。

私たちは、戦後の国際政治というと、前者の米ソの東西対立を思い浮かべます。しかし教授は、それよりも、後者の多国間によるリベラルな秩序を重視します。それは、冷戦が終わってソ連封じ込めが必要なくなったときに、新しい国際秩序が生まれず、引き続き従前の国際秩序が続いていることで証明されています。共通の敵がなくなったのに、西側先進諸国は同盟関係を崩さず、また国際機関を壊さず、軍備競争にも戻りませんでした。
振り返ると、アメリカ主導による多国間によるリベラルな国際秩序は、冷戦が始まる前から形成され始めていたのです。国際連合、IMF、ガット(後にWTO)などです。そして冷戦がなくなった今、この秩序が前面に出てきたのです。
ドイツも日本も、いえロシアも中国も、この秩序に乗っていて、これに挑戦しようとはしません。アメリカの戦後構想は、成功したのです。
この項続く

いつの間にか9月が過ぎました

今日は、10月1日。また、私の了解なしに、9月が過ぎました(笑い)。この1月間に、何をしたか。それを考えて、反省しています。先月も、同じことを書きました(9月3日の記事)。
手帳を見ると、いろんなことをしているのですが。中学の時に、先生が朝礼でおっしゃった言葉が、今も焼き付いています。「酔生夢死」です。「明るい係長講座」でも書いたので、詳しくはそちらをご覧ください。
「何をしたか」は、会議の回数や出張の回数ではなく、忙しさでもなく、「何を達成したか」で計られるべきです。もちろん、今直ちに結果が出ないものもあります。種をまいていることも、多いです。でも、12月には、「今年は、これをした」と、書きたいですね。
時々、「何になった」(あるポストに昇進した)ことを成果に誇る人がいます。でも、それはあなたにとって成果でも、組織や社会にとっては成果ではありません。「である」ことでなく、「すること」「したこと」で計りましょう。
「であることとすること」は、もちろん、丸山真男先生の『日本の思想』(岩波新書)の名文です。

官僚機構、その場限りの対処、縦割りの弊害

松本三和夫著『構造災―科学技術社会に潜む危機』(2012年、岩波新書)に、「その場限りの想定を基にした対処療法の増殖の危険性」を取り上げたか所があります(p128)。日本における原子力発電を導入する当初のことです。放射線による障害防止に関する、各省の対応が紹介されています。

・・1955年10月16日、総理官邸で開催された超党派による原子力合同委員会で、・・放射性物質取締法案要綱が議論され、・・各省の見解が提示された。
厚生省は、X線などによる放射線障害の防止の問題と抱き合わせにして、医療法の中で扱いたいとする。通商産業省は、特殊危険物たとえば特殊高圧ガスの取り扱いに関する基準でじゅうぶん扱えるという見解を提示する。
労働省は、保健の問題も保安の問題も廃棄の問題も、いずれも労働基準法で扱えるという見解を提示する。人事院は、鉱石の粉じんの問題などに照らして、粉じんを集めた廃棄物の処理が必要との見解を提示する。文部省は、最終的には放射性物質の研究も使用も文部省で一括して行いたいとする。
・・関係各省が、みずからの所管担当業務のなかに放射線障害の防止の問題をとりこもうとする姿勢が見て取れよう。ここで重要なのは、その際に放射線障害は、X線、特殊高圧ガス、保健、鉱石の粉じんといった、各省が扱いなれたその場かぎりの実務例を想定して理解されている点だ・・その結果、放射線障害防止法案は、各省が扱いなれたその場かぎりの実務例を想定した対処療法として法案化され・・1957年6月10日に成立する・・

その場限りの対処と、各省の縦割りの弊害が、現れています。各省、特に各課に割り振られると、担当者は自らの所掌範囲内でしか答えが書けません。すると、「前例にあることはできる」「前例の拡大解釈の範囲内ならできる」=「それ以外はできない」となります。この答えをそのまま、内閣官房に提出すると、上のような結果になります。
このような弊害をどう防ぐか。また各省にまたがる課題を、どのように統合するか。担当窓口の一本化と、対処として漏れ落ちがないかをみる必要があるのです。
ただし、課題ごとに組織を新設するわけにもいきません。既存の組織と人員を活用しつつ、新たな視点で「統合する」。それが必要なのです。