10月10日の読売新聞論点スペシャルが、日本のサッカーが力をつけたことを取り上げていました。ワールドカップやオリンピックでの活躍、世界の頂点に立つ欧州名門クラブへの日本選手の移籍や活躍、「どれも一昔前には想像すらできなかった。成長の理由は何か・・」。
岡野俊一郎元日本サッカー協会会長は、
・・世界のサッカー界は、今の日本を驚異と感じている。50年ほど前、日本代表コーチだった頃、世界のサッカーを見て回った。欧州はもちろん、アジアの強豪国との差も大きかった。マレーシア、インドネシアなどには、勝てる気がしなかった。
アジアで勝ちたい、という方針で選手の強化に力を注いだ。東北など各地域に選抜チームを作り、若い世代にエリート教育を実施した。Jリーグが誕生すると、日本サッカーは実力を開花させた・・
現段階では、欧州や南米から認められたとはまだ言えない・・
サッカー漫画「キャプテン翼」の作者、高橋陽一さんは、
・・サッカーを好きになったきっかけは、高校生の時に見た1978年のW杯アルゼンチン大会。こんな大会に日本が出場して、優勝争いができれば良いな、と願って1980年から「キャプテン翼」を描き始めた・・
でも現実を見ると・・漫画が現実に少し追い越されたかなという感じもする。日本サッカーは徐々に、順調に成長していると思う。
日本の若い世代の考え方も変わってきた。Jリーグができた頃は、そこでヒーローになりたいという子が多かったと思う。でも今は、小学生も中学生もJリーグを飛び越して、世界に行くんだという気持ちでやっているように感じる。
「キャプテン翼」に影響を受けたという海外の選手も多い。イタリアのデルピエロ選手、スペインのラウル選手、バルセロナのメッシ選手やイニエスタ選手などだ。フランスのアンリ選手は僕に会いたかったようで、サインも求められた。
海外でも人気が出たのは、初めからW杯を意識して世界基準で描いたことが良かったのかなと思う・・
現実が漫画を追い越すとは、すごいことですよね。もちろん、夢だけでは実現しませんし、子どもや若者があこがれるだけでも実現しません。ここまでには、関係者の大変な努力がありました。メキシコオリンピック(1968年)での銅メダル獲得以来、長く低迷の時代が続きました。その後、トップ選手の育成だけでなく、裾野を広げ、さらにはJリーグという「ビジネスモデル」を立ち上げ、と。
弱小な競技が、日本でも最大級のスポーツ(競技人口も観客動員やテレビ放映でも)になるとともに、国際大会ですばらしい成績を残し、さらに世界で戦う若者を育てるまでになりました。この過程を、一つのビジネス、あるいは国家戦略として見ると、日本が世界で戦う際の一つのモデルがあると思います。
高校時代にサッカーボールに触れましたが、才能がないことを直ちに自覚した、元サッカー少年より。今や誰も信じてくれませんが、ゴールキーパーをしていました。